『幸福な亡骸』~ケントとフウマ~歌詞からイメージする小説




ミーンミーンミーン………




ジジジジジジジジ……


夏の終わりの朝。

田んぼに揺れる金色がかった稲が朝露でキラキラ光る
絨毯のような風景を、オレは両腕を頭の後ろで組んだままぼんやり眺めながら
畦道にしてはかなり広い道を、朝日に照らされながらのんびり歩いていた。


「……田舎の朝は都会より静かだと思っていたのは間違いだった…」

「…なんか言ったか?」


オレの数メートル先をスタスタ歩いていたケントが、頭を少しだけこちらに向けて訪ねてくる。

「周囲に響き渡る無数のコーラスが、朝も昼も夜もミンミンジジジジやっかましいのな?」

「仕方ないだろ、田舎ってのはどこもこんなもんだ…だったら、ついてこなきゃよかったろ」

「だってぇー…お前いないと暇じゃんよぉー」

「んなこといって、どうせ宿題うつすのが目的なんだろ?」

「てへっ、ばれてた?」

「むしろバレてないとでも?」


オレは夏休み最後の週末、実家に帰省するケント一家についてきた。

もちろん、宿題の件も目的と言えば間違いではないが
都会で生まれ育った俺は生まれてこのかた一度も田舎と呼ばれるような場所へ行ったことがない。

なんなら、バラエティ番組の地方ロケなどで見るくらいの知識しかなかった。

「定年退職したら田舎で静かに余生を過ごしたい。とか言うじゃん?田舎って静かなところだと思ってたのに、意外とうるさいのな」

「機械や人為的な音はほとんどないけど、その分自然の音が際立つからな…」

「それが、風情ってやつ?」

「俺にきくな」

「田舎のベテランだろー」

「親の実家が田舎なだけでベテラン呼ばわりすんじゃねーどアホゥ」

「誰があほじゃい!」

ケントと一定の距離を保ちながら歩きつつ、オレは清々しい空気を肺一杯に吸い込んだ。

虫の音が気になるとはいえ、さすが田舎と言うべきか。

空気が美味しいという言葉の意味をようやく実感することができて、つい顔がにやけてしまう。

都会と真逆の景色の中、いつもと変わらない馬鹿げた話をしながら歩く。

オレはこの時間がとても楽しくて、とても好きだ。

ケントといると、いつも楽しくて時間を忘れてしまう。

なんやかんやと理由付けてはいたものの、
結局の所こいつと最後まで夏休みを過ごしたかったという願望が一番の理由だ。

(きてよかったな…)

そんなことを考えながら、オレはケントの後ろ姿を眺めながら綺麗な風景を歩き続けた。



………



どのくらい歩いただろうか。


気がつけばあれほど騒がしかった夏虫たちの声は途絶え、二人の土を踏む歩く音しか聞こえなくなっていた。


「?……なぁケント、急に静かになっ………んぶっ?!」


突然の変化に戸惑い、辺りを見回しながら歩いていたオレは、行く先で立ち止まっているケントに気づかず
そのまま追突した。

「っおい、急に止まってんじゃ…」
「あれのせいかもな…」


そう言って道の奥をスッと指差すケントの動きを追うように、ケントの後ろから覗き見た。


長く伸びた畦道の先に、蟻のように群がる黒い集合体が見える。

目を凝らしてしばらく見ているオレは、ゆっくり近づいてきたそれが、蟻の群れではなく
喪服を着た行列だとわかった。

白髪交じりの老人から、今にも走り回りそうなくらい活気に溢れた年齢の子供まで
老若男女が入り交じる行列は、まっすぐで綺麗な列を作り、
ゆっくりゆっくり、足音をたてまいとするようにこちらへ向かって歩いてくる。

女性たちは頭にレースのついたベレー帽のようなものを被っているので表情まではわからないが、
近づいてくるに連れ、彼らが皆、下を向いて歩いていることに気づいた。


「なっ…なんだこれ…?」


目の前の見慣れない光景に背筋が冷たくなったオレは、無意識にケントに訪ねていた。
それに対して、静かな口調で簡単な返事を返すケント。

「葬列…」

「え?」

「葬列だ…誰か亡くなったんだろう」


そういいながらケントはオレの横に立つと、二の腕をくいっと掴み
畦道の端に引っ張り寄せた。
よろめきながらも端によったオレが、ケントの急なアクションに文句を言おうと口を開きかけた瞬間
ひんやりした柔らかいものに口全体を覆われた。

それが、ケントの手のひらだと気づくまでに少し時間がかかった。

「…?!」

「フウマ、すまないがちょっと我慢して静かにしててくれな…?」

『どういうことだよ?』

ケントの手に塞がれた口で、オレはフガフガ聞き返す。


「あぁ、ごめん…」

口を塞いでいたことを忘れてたのか、気づいたように手を離すケント。


「この村の風習なんだけど、死者を弔う葬列が目の前を横切るときは、
決して口を開かず目を閉じて、頭を下げること…これを守らなきゃいけなくてさ」


すまなそうな顔をこちらに向け、説明するケント。


「お前さっき、大声だしそうだったからつい、口を塞いじまったってわけ…悪かったな」

「…んだよ、そういうことなら、まぁ、……許す」

「サンキューな」

そうこうしてるうちに喪服の行列はこちらへ向かって進んではいるものの、あまりの遅さにオレは何故かそわそわし、隣で涼しげな顔をしているケントに向かい、小声で訪ねる。


「…なぁ、それにしても歩くの遅くねえ?今、だいぶ暑いよな?喪服着てこの暑さのなか歩くって、子供もいんのにやばいだろ…」


どこまでも広がる雲ひとつない青い空。

むき出しの太陽が全身に熱と光を浴びせてくる。


「フウマの言うこともわかるけどな……なぁ、フウマ
彼らはどこへ向かってると思う?」

「どこって…どこだよ?」

「あそこへ向かってるんだ」

そういってケントは再び人差し指で葬列の向かう先をオレに示す。

オレたちが歩いてきた畦道にあるいくつもの分かれ道、その一つが遠くの小さい山の麓へ伸びていた。

その道をたどると少し坂になっており、さらに進んだ山の麓には、白い建物が木々に見えかくれしながら存在している。


「あれって…」

「火葬場だ」

「え…めっちゃ遠いじゃん…、あの距離を歩いてくのか?いや、車使えばいいのに……」


あのペースで歩いていては日が暮れるだろう。

それくらい、オレにとっては火葬場までの距離は遠く感じた。

この道にはいくつか轍の跡が残っているし、車も通れるはず。

だったら、複数台車を使って向かうのが賢いというもの。

そんなことを考えているオレを優しい眼差しで見つめ返し、ケントは続けて口を開く。

「そういうことじゃないんだ…この村の人たちにとって、この時間は死者との最期の大切な時間」

ケントはオレに向けていた視線を、ゆっくり葬列の方へ向ける。

「彼らがこの道をゆっくりゆっくり、時間をかけて歩いているのは、
死者の魂と過ごせる最期の時間を、可能な限り長く共に過ごしたいという、死者を愛する気持ちの現れなんだ…」

「死者の魂…?」

「火葬場で体を燃やすとき、あの高い煙突から煙がでるだろ?その煙にのって、死者の魂は天に還り、次の輪廻の準備のために魂に刻まれた記憶を洗い流す…そう言い伝えられてるのさ…そうなると二度と、死者だったころの魂は戻らない…だから、魂のあるうちに少しでもそばにいて気持ちを伝える…それがこの村の葬式なんだ」

「へぇ……」


熱心に語るケントの言葉に、オレは違和感しか感じなかった。

だってそうだろ?

死んでしまってから気持ちを伝える?

魂がとどまってるうちはそばにいる?

すべてが遅すぎて完全に理解できない。

そんなに大切な相手なら

そんなに別れを惜しむ相手なら


どうして生きてるうちに気持ちを伝えないんだよ?

どうして命あるときにそばにいないんだよ?


オレならそんなやらない後悔なんかしない。

大切だと思える相手のそばにはいつだっていたいし、

気持ちだってちゃんと伝える。

たとえそいつが死んだとしても、後悔しないくらい

そいつとのいきる時間を大切にする。


……そういうもんだろ?



モヤモヤした気持ちが苛立ちに変わろうとしていたとき、不意に頭に力が加わり、地面へ向けてぐっと押さえ込まれた。

「?!」

驚きのあまり反射的に頭を上げそうになるが、押さえつけている手に力がこもっているからかそれ以上頭を上げることはできなかった。

おとなしく下を向き、そっと視線だけを目の前の畦道の方へ向けた。

すぐそこまであの葬列が来ていたようだ。

誰一人話すことなく静かにゆっくり歩いてきたからか、
ここまで近くに来ていたことに全く気づいていなかった。

ケントの方をみると、目を閉じ頭を下げている。

オレがおとなしくなったことで理解したとわかったのか、頭を抑えていた手を離すと、体の前で合掌していた。

すぐさまオレも、見様見真似で合掌し、視線を下に向けた。

足元には色んなものが転がっていた。

小さな石ころから虫の死骸までたくさん。

喪服の行列は、足元に転がっている蝉たちの死骸を
なにもないかのように踏みつけ歩いている。


なんとなく気分が悪くなったオレは、苛つく気分をなんとか押し殺したまま下を向き続けた。



そして、ようやく葬列がオレたちの前を横切り始める。

線香の香りが一瞬にして辺りに立ち込める。

かぎなれない濃厚な香りに頭がくらつき、おもわずふと、目を開けた。

その時、オレの視界の隅で、額縁のようなものを持つ小さな手が見えた。

(もしかして、あれが遺影ってやつか…?)

目を開けてはいけないことはわかっているものの、
何故かその遺影が無性に気になり、オレはバレないようそっと額縁の真ん中に収まっている人物に目線を向けた。









どくん。





一瞬にして、目の前の色づいた世界がモノクロに変化する。

暑さを忘れた身体から大量の脂汗が堰を切ったように溢れ出す。

目の前を通りすぎる葬列が、止まっているようにみえ、それに反してオレの心臓はけたたましく脈動していた。





目の前が真っ暗になる。

この言葉の意味までも自信で味わうことになるなんて思いもしなかった。



……ま、




……ふ……ま!





「フウマ!!!」





聞きなれた声が、鋭く鼓膜に突き刺さる。

我に返ったオレはぶるりと上半身を震わせた。

オレの両肩は、Tシャツの上からでもわかるくらいひんやりと冷たい両手で掴まれていて、
目の前には心配そうにオレを覗き込む、見慣れたいつものケントの顔があった。




そう、葬列の中見てしまった

額縁の真ん中に納められていた顔と同じ。











「おい、歩けるか?」

気づいたらオレは腰を抜かしていたのか、地面にベッタリ座り込んでいた。

「フウマ、大丈夫か?」


ケントは先ほどからずっと、前屈みにオレを見下ろし
不安そうな声色で訪ねてくる。


「………」


なぜそうしたのか自分でもわからない。

オレは、目の前にあったケントの頬を
左手でそっと触れていた。


「……は?」


いきなり頬を触られて、ケントの表情がかたまる。


「…あったかいな…」


「……は??」


オレの不可解な行動に、ケントは嫌悪感丸出しな顔をむけると、途端にいつものケントに戻った。

「一人で歩けるだろ、勝手に帰ってきやがれ、どアホゥ」

そう言い捨てると、ケントはこちらを振り返ることなく、肩を立たせながら帰っていった。


あたりをぐるりと見回してみる。

あの葬列はもう、オレの目の届くところにはいなかった。

線香の香りが微かにその道に糸を残すように留まっている。


空を見上げると端の方から徐々に茜色が顔を出し始めていた。

そんなに長い時間ここにいたのか。

そんなことをぼんやり考えながら立ち上がると、
遥か先を歩いているケントの背中を追うように歩き始めた。





歩きながら、オレは左の手のひらをぼんやり見つめる。

あのときのオレは、あいつが生きてるという実感がほしかったんだろう。

頬から伝わってきた熱で、ケントが生きていると確認でき、心底安心したんだと思う。

左手を強く握り、前を向き直す。


…遺影を持ってたのは、どうみても今年小学生になりたてくらいの小さな子供だった。

子供なら泣きわめいたりうろつき回ったりしそうなものなのに、

小さい手でぎゅっと、大事そうに大きな遺影を握りしめて
周りの大人に合わせるように必死に歩いていた気がする。

遺影の人物は、その子の兄弟だったのか、親だったのか…。
オレには知る術がないことだけれど、
この世には同じ顔を持つ人間が少なくとも三人はいるという都市伝説も体験させられるとは思っても見なかった。


それくらい、あいつにそっくりだった。

そっくりだったけど、知らないあいつだったのは、

遺影の中の人物がモノクロだったからかもしれない。



あの中にいたのがあいつじゃなくて本当によかった。



そう思うと同時に、オレの中の価値観が変化していることに気づき、ハッとする。


もし、あの中にいたのがあいつだとしたら、


これだけ毎日顔を合わせて

下らない話や笑い話に花を咲かせて

何度も唯一無二の親友だと言ってきてたとしても


オレはきっと後悔するだろう。

覚悟を決める時間が与えられる長期的な死

覚悟すらできない瞬間的な死


どちらにせよ、オレはきっと

あいつの死を受け入れることができないくらい後悔するだろう。




オレは、小さくなったケントの姿に向かって思い切り走り出した。


いつ訪れるかわからない別れの時。

少しでも後悔の数を減らしておかなければ。



オレは、辺りに響き始めた虫達の声に負けないくらい
大きな声であいつの名前を呼んだ。




















いいなと思ったら応援しよう!