ピカレスク~ケントとフウマ~⑭

【反転】

……あれから1ヶ月が経とうとしてる。

アイツに…親父に遭ったあの日から、俺の中で記憶の暴走がランダムに襲ってくる。

突如としフラッシュ映像のように断片的なおぞましい“記憶”と呼びたくないものが視界を埋める。
そのせいで、目が異常に疲れているのか、自分でも外を眺めている時間が長くなった気がする。
目を癒すといわれている緑の葉が申し訳程度についた数少ない木を求めて視線を泳がすが、
ここからの景色ではそれらしいものはいつも見つからず、
結局いつもと変わらない薄暗い空を見上げている。

俺が今まで以上に無口になったからか、痙攣している姿を何度も目撃されているからか、
最近は特にフウマからの視線を強く感じるようになった。

それもそうだ、あの日以来、自分でもわかるくらい自分が変化しているのだ。
ずっと傍で行動を共にしてきたコイツが気づかないわけがない。

あまりに向けられた視線が長すぎると思うときは、たまにふと生気を失った視線を向けると
フウマはまるで見ていなかったかのように慌てて視線をそらす。

俺が気づいていないと思っていそうなところがまさにアイツだ。

フウマは変わってない。
はじめてあった時から今も、アイツの心の奥には透明な…汚れを知らない空間が、
独り残酷な世界で生きつづけてきてなお、しかと残っている。

…俺は、そんなお前をここから連れ出してやりたかった。

偽りの幸せでなく、本物の幸せをアイツには掴んでほしい。

そう思っていた。

そう思っていたのに……。





すべてが仕組まれたことだったのかもしれない。






藻と水垢で埋め尽くされた欲望に汚れた水槽の中で泳がせるだけ泳がせ、
光輝く大海原へでようとした瞬間、首を刈る。



所詮、俺は自分の力だけでここまできたわけではなかったのだ。

掌で転がされてただけの、ただのジョーカー…

俺自身が親父の殺しの道具であり、遊び道具だったのだ。


(どうせ、二人とも生きてここをでられないことくらい、察していなかったわけじゃない…)



…フウマが寝静まった時刻、俺は足音を消して部屋を出ると
いつもの場所へ向かった。
そこには、俺達が今まで積み上げてきた実績が
金に姿を変えて存在していた。


(これももう、必要なくなったな……)


ケントはそう吐き捨てると、無気力な眼差しを目の前に積まれた紙切れの山に向けた。


その日から俺は、未来を、希望を捨て
今を生きることに執着しはじめた。
そうなると、外の世界に出られた時のためにと今まで自粛していたことや禁止していたことへの紐がほどけ、
ただひたすら紙切れを消化する毎日だった。

依頼はいつも通りこなしつつ、帰りに近くの町や村へ立ち寄っては、
アイツが食べたことのないような物や好みそうな物、普通に暮らしていれば口にすることがないような高級な物などを買い漁り、帰路に着くようになった。


このちっぽけな世界であっけなく終わる生涯なら、
限りある時間を様々な初体験で埋め尽くしてやりたかった。

あいつは異常なくらい食に興味を持っていたから、最初は飲食物を持ち帰っていた。

最初の頃は顔面が崩れんばかりのあの笑顔で喜びながら、見たことも食べたこともない食事を、
幸せそうな顔で食べ尽くしていた。

だが、それも長くは続かない。
俺が自力で行ける範囲なんてたかが知れてる距離。
閉鎖的な小さな町や村程度しかない地域で
そうそう毎日違うものを買ってくることなどできない。


それにフウマの表情が、心なしか薄く殻を被った空気を纏いはじめた気がした。

その違和感が確信に変わったのは、俺がフウマに数冊の本を買ってきたことだ。

二週間前のことだった。





……ガチャ…




『お!おかえり、随分遅かったじゃん、仕事手こずったとか?ははは』

『俺がそんな面倒なことすると思うか?』

『はぁ?イヤミー、うっざ』

『そんな口聞いてる暇があるならこれでも読んでろ』

相変わらず下らない会話にはことかかないフウマを黙らせるため、俺は右腕に抱えていた数冊の書物をフウマに向かって雑に放り投げた。

不意を突かれたフウマだが、そこは数々の修羅場を何度も潜り抜けてきただけあって身体が無意識的に反応し、次々交わしていく。

……が、最後に投げ飛ばした本が左胸を直撃していた。

これが銃弾だったらジ・エンド。

こんなブラックトークすら、俺はアイツに言えなくなってた。


『いって…!!何投げて……って、本…?』

フウマは物珍しげなものを見つめる瞳の中に
懐かしいものでも見るような眼差しを混合させながら
足元に散乱した本をまじまじと見つめていた。

そんな姿をケントに見られているなど露知らず、
フウマは1冊の本に手を伸ばし拾い上げた。



その本は、俺がこの地へ来てまもない頃、路地裏の大きくて錆びた鉄製ゴミ箱の並ぶ隙間に挟まれるように寝そべり、虫の息だった中年男性から渡された小説だった。

『…ピカレスク?』

なんとなく、フウマもその小説に親近感を抱くとかんじていた俺は、小さくため息をつく。
ピカレスクの意味を知ったら、アイツはどう思うだろう?



『もうお前もいい歳だし、いつ外の世界へ行ってもおかしくない時期だ…その本でも読んで向こうの世界の知識を少しでも頭にいれておけ…でないと、恥をかくのはお前だ』

『う…た、確かに…でも、大体のことはお前が教えてくれて…』
『俺だって人生でここにいた時間のほうが長い…お前よりほんの少し詳しいだけで、外の世界の普通や常識は、ほんの一握り程度しか理解していない』

『まじ…?』

『恥をかきたくなかったら少しでも読め』

それだけ言うと俺はいつもの窓際の壁に背を預け、
腰に着けているサバイバルナイフを取り出すと
手入れをはじめた。

フウマに向けた言葉は本心だ。
ただ、今のではなく、過去の自分の本心。

最期に、世界はこんなに広くてこんなに魅力的で
素敵な世界だと知ってほしいという、
自分勝手な理想を押し付けたのが現在の自分の本心。


『確かに、言われてみればココでの常識くらいしか学んでこなかったけどさ、だからこそなんだけど、この量の本って…』


困惑した表情で床を見渡すと、そのままの眼差しをこちらへ向けてきた。

『お前、いってたじゃん…、常に身軽にしておけ、身を守るもの以外身に付けるな、拠点は常に移動することを覚えておくんだな…ってさ』

そう俺に言いながらフウマは散らばっていた本を集めはじめた。

『1冊ならまだしも、こんだけ買ってきたとなると、移動するときの荷物になって邪魔になるじゃん』

『そのことだが…しばらくはここに留まることにした』

『は?それってどういう…』

『移動する意味がもうなくなった』

『はぁ?尚更意味が…』

『ここはしばらくの間 “安全” ってことだ、わかったらさっさと飯食って寝ろ』

それだけ言い放つと俺は再びナイフの手入れに集中してた。フウマが何か騒いでいるが、もう俺の耳には言葉として聞こえてないし聞く気もない。
俺はただ、ひたすらに黙々と手中にあるナイフを磨き続けた。

その時からフウマとの間に、薄いベール一枚挟まったような距離ができた気がする。





………






……俺は今日も、あの時と同じ場所、同じ姿勢でナイフの手入れをしている。

フウマも、あのときと同じ場所に座って、1冊の本を読んでいる。
時折、スッと視線が飛んでくるが、この身に視線が留まることなくすぐ消えるを繰り返している。


(アイツはきっと、“安全”の意味を理解していないだろうが、それでいい)

(この場所が“安全”なのは、敵にばれない場所だからではなく)
(危険な敵が周囲にいないわけでも)
(自分達が強くなりすぎたわけでもない)

そんなことを考えながら色鮮やかな本を読むフウマを、
すべてに対して無気力しか感じない、鋭い意思の消えた柔らかい視線を向けた。



【安全】


俺がこれを口にした意味は別にある。



それは、常にこの現状をヤツラに把握されていることにある。

どこへ逃げようと、隠れようと

向こう側にはこちらの位置が手に取るようにわかっているに違いない

なのに、一切手を出してこないのには理由がある


俺がフウマを処分するのを期待しているから。

あの日返されたアタッシュケース。

それを俺が持ち続ける限り、

俺がアイツと行動を共にする限り、

ヤツラは俺がフウマを手にかける日がくるのを望み、待ち続けるだろう。

だから、その日が来るまで決してヤツラは襲撃に来ないだろう。

それが、俺の導きだした、死と紙一重の“安全”だ。










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