ピカレスク~ケントとフウマ~⑬
【交差】
……あれから1ヶ月が経とうとしてる。
オレ達が別々に依頼をこなした日から、どうもケントの様子がおかしい。
もっと詳しくいえば、あの日、どしゃ降りの中
依頼を終えて帰ってきてからおかしいのだ。
今まで以上に無口になったケントは、
気づけばいつも窓辺に佇み、何もないただそこに存在するだけのいつもの空を見上げている。
かと思えば、急に頭を左右に細かく振ったと思うと
両手が小刻みに痙攣し、呼吸が荒くなり、脂汗がじわりと顎をつたう。
ほんの数十秒の出来事だし、過ぎてしまえばいつものケントに戻るけれど、
いつものケントかと聞かれれば何かが変わった気がする。
表情というか…目元なんか特に変わった。
以前は常に、見た者を切り裂くような鋭い視線だったのに
時折トゲが落ちてしまった薔薇のように柔らかい視線を見せるようになっていた。
そんな以前と違う面を度々だしてくるケントを目で追うのが、最近のオレの癖になってしまっている。
最初こそ病気やクスリを疑ったが、仕事の腕はいつも通り見事なもんなので、体調が悪いとかではないみたいだ。
飯も普通に食べてるし…。
…飯?
フウマは一瞬目を丸くして、顎に手を当て考え込む。
…そういえば飯で気がかりなことがあった。
以前は金の亡者かと思うレベルで金を使うことを嫌がった。
依頼料などオレ達の稼いだ金はすべてケントが預かり、
本当に必要なときに、少額だけ使うという生活をしていた。
何年分貯めてるのか、どこで管理してるのかまったくわからないが、ケントはよく、
『外の世界で必要になる』
と、口癖のようにいっていたので
ここを出る時が金の使い時なんだろうなと思っていた。
なのに、
ほぼ毎日仕事終わりにケントは一人で近くの町や村へ立ち寄っては、
様々な食料や飲み物、はたまた書物などを買ってくるようになった。
はじめはオレのソロデビュー祝いかと思って喜んでいたのだが、
ほぼ毎日、新鮮でなかなかありつけなかった様々な飲食物を持って帰ってくるようになり、少し違和感を感じはじめた。
その違和感が確信に変わったのは、ケントがオレに数冊の本を買ってきたことだ。
二週間前のことだった。
……ガチャ…
『お!おかえり、随分遅かったじゃん、仕事手こずったとか?ははは』
『俺がそんな面倒なことすると思うか?』
『はぁ?イヤミー、うっざ』
『そんな口聞いてる暇があるならこれでも読んでろ』
そう言いきらないうちに、ケントは右腕に抱えていた不揃いな四角い物たちをこちらに向かって雑に放り投げてきた。
不意を突かれたフウマだが咄嗟に身体が反応し、次々交わしていく。
……が、最後に飛んできた小さな物に左胸を突かれた。
『いって…!!何投げて……って、本…?』
オレの足元には幼い頃に数回は見ていたであろう面影しかない
数冊の書物が落ちていた。
その本は昔の記憶とは大分違う見た目をしていた。
植物や動物の写真が載っている大きくて重い本、
知らない国旗や人種がいくつも載っている薄い真四角な本、
煌びやかな景色や美味しそうな食事、お洒落な衣類が載っている表紙も柔らかい本、
日本語がびっしりのってる分厚い本。
オレは、ぶつかってきた小さい本に視線を落とす。
これも日本語がびっしりだがそこまで厚くなく、
表紙も柔らかく片手に収まる程度のサイズ感。
ただ、この本だけが使い古されたような小汚なさが目だった。
その本が他の綺麗な本と違って汚いからか、
その本がまるで外の世界から追い出された自分を見ている気になったせいかはわからないけど、
オレはその古びた本を手に取った。
本の表紙に聞きなれない言葉が書いてある。
『…ピカレスク?』
『もうお前もいい歳だし、いつ外の世界へ行ってもおかしくない時期だ…その本でも読んで向こうの世界の知識を少しでも頭にいれておけ…でないと、恥をかくのはお前だ』
『う…た、確かに…でも、大体のことはお前が教えてくれて…』
『俺だって人生でここにいた時間のほうが長い…お前よりほんの少し詳しいだけで、外の世界の普通や常識は、ほんの一握り程度しか理解していない』
『まじ…?』
『恥をかきたくなかったら少しでも読め』
そう言うとケントはいつもの窓際の壁に背を預け、
腰に着けているサバイバルナイフを取り出すと
手入れをはじめる。
『確かに、言われてみればココでの常識くらいしか学んでこなかったけどさ、だからこそなんだけど、この量の本って…』
ケントがよく言っていた口癖のひとつが浮かぶ。
『お前、いってたじゃん…、常に身軽にしておけ、身を守るもの以外身に付けるな、拠点は常に移動することを覚えておくんだな…ってさ』
そうケントに言いながらフウマは散らばっていた本を集めはじめた。
『1冊ならまだしも、こんだけ買ってきたとなると、移動するときの荷物になって邪魔になるじゃん』
『そのことだが…しばらくはここに留まることにした』
『は?それってどういう…』
『移動する意味がもうなくなった』
『はぁ?尚更意味が…』
『ここはしばらくの間 “安全” ってことだ、わかったらさっさと飯食って寝ろ』
それだけ言い放つとケントはナイフの手入れに集中してるからか、いくら話しかけても返事どころか視線すら返ってくることはなかった。
………
……目の前にいるケントは、あの時と同じ場所、同じ姿勢でナイフの手入れをしている。
オレも、あのときと同じ場所に座って、1冊の本を読んでいる。
(あの時のケントが言ってた安全って…、ここが敵にばれない場所ってことか?)
(それとも危険な敵がこの辺りにいないってことか?)
(オレらが強くなりすぎて襲ってくるやつがいないとか?)
そんなことを考えながら色鮮やかな本を読むオレは、
あの時のケントが言った
【安全】
の意味が別にあったこと
ケントの時折見せる優しい視線の正体に
全く気づくことができなかった。