映画「セッションマン」 ニッキー・ホプキンズ
時代の片隅に追いやられ、忘れ去られたアーティストにスポットを当て、高い評価された映画「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」「永遠のモータウン」これらの作品の功績は、その後音楽に関するドキュメンタリー映画が一つのジャンルとして確立させたと言っても過言ではない。
ブエナビスタにおける平均年齢70歳後半のキューバの伝説的なミュージシャン達、モータウンにおけるジェス・ジェマーソン(既に死去)を代表とするファンク・ブラザースなど、音楽における功績の偉大さが色々な事情で全く認知されておらず、経済的な恩恵も受けられず、不遇な人生を歩んだミュージシャンを取り上げ、本来得られるべき正当な評価をテーマとする映画。
ニッキー・ホプキンズついても、正当な評価が全くされておらず、この映画で、名曲に与えた影響の大きさを知ることになる。
10代の頃、一番レコードで聴いたバンドはストーンズ。
ニッキー・ホプキンズの名前は、そのストーンズのアルバム・クレジットにピアノ奏者として、記載される程度で、パーソナルな情報はほとんどなく、余程のロックファンでなければ知らない存在だった。
16歳のときにロンドンの名門・王立音楽アカデミーでクラシックを学び、途中退学、その後ブルース、ブギウギ、ロックンロール、ジャズを独自に学び、それら多様性のエッセンスをベースにあらゆるコンセプトの楽曲にも対応できる音楽的才能が、30年にわたりロック黄金期のミュージック・シーンに欠かせない存在になり、50歳の若さで逝去するまで携わったアルバムは250以上
魔法のようなピアノ演奏でビートルズ、ストーンズ、フー、キンクス、ジェフ・ベック・グループ、また解散後のビートルズ全員のアルバムに参加。
ストーンズにおいては、サタニック・マジェスティーズ(1967年)、べがーズ・バンケット(1968年)、レット・イット・ブリード(1969年)、スティッキー・フィンガーズ(1971年)、メインストリートのならず者(1972年)に参加。もはやバンドの一員と言っても過言ではない位、重要なピースとなっていた。
ニッキーがピアノとして参加した、悪魔を憐れむ歌、モンキーマン、アンジー、シーズ・ア・レインボウなどは、その時は誰がピアノ弾いていたのかという疑問は湧かなかったが、改めて聴くとそのピアノフレーズがその曲に無くてはならない存在であり、またすべてが独創的で、印象深く、美しく、また多様性のある演奏に驚嘆せざるを得ない。
また、これらの曲をまとめて聴くと、ニッキー・ホプキンズというミュージシャンの全体像が浮かんでくるように感じる。
溢れんばかりの才能、豊潤な音楽的バックグラウンド、また人間性まで見えてくるようで、感動すら覚える。
個人的ベスト2は
シーズ・ア・レインボウ
バロック調のイントロは一度聴いたら忘れなれない、1999年マッキントッシュのiMacのCFソングで起用。
ジェラス・ガイ
[ジェラス・ガイでのニッキーの演奏はメロディックで美しくて、今もなお
人を涙させる 」byオノ・ヨーコ
こんな美しい音楽を創作できた偉大なるミュージシャン ニッキーホプキンズの存在を一人でも多くのロックファン、いや音楽ファンに知ってほしく、
また1日でも早い、ロックの殿堂入りを願い、その音楽的功績が公に認められることを切に願う。