歳の離れた妹のような
娘のこと。
母という立場になって4年と4ヶ月、
苦しんだ時期の方がなんとなく多かった。
産後すぐ。
ハイになって喜んでる反面、
母乳が上手く出ない・吸ってもらえないのに「ダメだ」と必死になり、
冬場にかけてひどくなった湿疹の対応に心を挫かれたり、
育休中。
しばらくすると赤ちゃんとの二人きりの出不精な生活で元気を無くしたり、
一歳を目前にして仕事復帰した時。
あまりにも必死すぎて覚えてない、
でも色んなところに良い顔しようとして結局しわ寄せがきて、ちょうど一年でうつになった。
その頃には娘はもう自我というのを発現し出していて、
赤ちゃんの頃から娘のSOSをちゃんと拾って対応し続けてきた夫の方を好きと言われ懐かれて、
泣く時も寝る時も言うこと聞かせる時も 私ではうまくいかない日々が続いて、
良い社会人にも 良い母親にもなれないと感じて辛かった。
休職の一年間。
環境も気持ちも閉鎖的になっていて、
圧迫されたイライラを娘にぶつけたくなる場面がどんどん増えて、
“こんな自分になりたくないのに。”
“こんな思いを連鎖させたくないのに。”
自分の幼少の頃からのトラウマが出てきて、
でもそれをどう扱って良いかわからなくて、
さらに自分をいじめる日々が続いた。
そして復職してからの、今。
イライラと反省を繰り返す度に見えてきた、
私が私を癒せばいいんだということ。
幼少期から、今はもうどこにもいない“当時の親”への気持ちを引きずって恨んできたけど、
それを今の娘にぶつけたところで何も解決しない。
ぶつけるんじゃなくて、“当時の自分”を今の自分が大事にすればいい。
おんなじところをグルグルと回って、
でも少しずつ螺旋のように積み重なっていって、
そして数日前に言われた夫の言葉。
“歳の離れたきょうだいみたいな関係で、いいじゃない。”
娘のことはとても可愛い。
それなりに信頼関係もある。
でも私は私の人生にも必死で、
(私の中の理想の)親のように丸ごと子どもだけをずっと愛せる訳じゃない。
心の底から可愛いから仲良くするし、大事だし、お世話もしたい。
でも何かあったら自分だけでは対応しきれないから、親に頼る。
それぐらいのスタンスでも良いじゃない、今そんな感じだと思うよ、との夫の言葉。
「理想に向けて(気持ちだけは)必死です!」
の私からすると、最初は少し抵抗もありつつ、
でもやっぱり胸に手を当ててみるとそれが楽で安心な考え方だった。
先のことは分からないけど、今はとにかくそれでお互いに笑顔でいられたら、良しとしようじゃないか。
そう肩の力を抜けるようになった。
なんとなく大事な気づきだった気がするから、記念に書き残しました。
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