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“手のかからない”育児

うちの子は言うことを聞かない。

正確には、「私の」言うことを聞かない。

そのせいで、普段からきちっと従わせられず、子が癇癪を起こした時にはますます悪化させる。

その度に私の自己嫌悪がひどくなって、自分なんか必要ないよな、もう消えたい、と行き着く。


そんな様子を見ていた夫から、なぜそうなるのか?と考察を得た。

①私のやり方は「言うことを聞いてほしい」ではなく「言うことを聞かせよう」としている

②うちの子は「言うことを聞かせよう」とされるのが嫌いに育っている

だそうだ。


ここからは私の考察。

①について、私は私の母親から「言うことを聞かせよう」とされてきたので、無意識にそちらを踏襲しているようだ。(しかもかなり感情的に)

②について、私自身は人に言うこと聞かされるのが嫌い(反抗的、負けず嫌い)な性格なので、同じように子を育てているようだ。
つまり、母親からされてきたこと(そしてそれを真似てしまうこと)を忌み嫌いながらやっている。

②について、私だけでなく夫の影響も大きそうだ。
夫に、なぜ「言うことを聞かせよう」としないのか、と聞いてみた。

それが好みではないのだそうだ。
それはなぜ?

「言うことを聞く子だと手が掛かるから。」

え、逆じゃね?

一般的に、言うことを素直に聞く子の方が、いわゆる「手がかからない子」なのだろうと思う。

「言うことを聞いて動く子には、いちいち全部指示を出さないといけないから手が掛かる。
言うことを聞かなくて自分である程度考えて動いてくれるくらいの方が、結果的に手が掛からない。」

な、なるほど〜?


その正誤はよく分からないけれど、現在進行形の様子を見るに、うちの子は緊急時や癇癪などピンチの時、本当に「こちらの言うことを聞いてほしい」時ほど、夫の言うことをよく聞くのだ。

そう、夫は「言うことを聞かせよう」ではなく、「言うことを聞いてほしい」という姿勢で子に接している。


私は、普段は「言うことを聞いてほしい」という理想(頭では)でいる癖に、大事な時ほど「言うことを聞かせよう」というのを都合よく発動させようとしていて、子はそもそもそれが好きじゃないし、結果的に言うことを聞かせられない。

こんがらがってたんだなー、まだこんがらがってるなーと書いていて気付いた。


そして、私が自身の母親からされてきた「言うことを聞かせよう」=「手が掛かる」育児は、文字どおり手を掛けてもらってきた証拠でもあるんだろうなと。

独りよがりで、感情的な割に素直に表せず、実質ワンオペで、育児以外の捌け口があるような無いような、不器用な母から育てられてきたんだな〜、
それでも育ててきてもらったんだなと。

私も似たようなもので、未熟だから、それでも放棄せず育てた親のことはすごいなと思う。

やり方は気に食わないし特に相容れないけど、恩着せがましく感じようとも思わないけど(ちょっとは思えよ、とも思う)、そこだけは偉かったなと思った。

これがもう少し可愛げのある言い方が出来たら、私も少しは熟した証拠なのかなと思う。今はまだ出来ない。


話が自分の母親との話に変わってしまってたけど、話を戻すと、自分の育児において、「言うことを聞かせようとしてるのか」「言うことを聞いてほしいと思ってるのか」の違いくらいは意識してみようかと思う。


あと、夫からさらに言われたのは、特に癇癪なんか起こしてる時に「言うことを聞いてほしい」というのは、実はかなり「気迫」が必要。

パニックになっている子本人よりも大きな気で構えとかないと負けるので、うつ状態ならそりゃ難しいやろと。

そういう時は素直に離れるか、負けるかしかない。


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