「母親」を卒業した日
子どもは鏡。
自分の姿を映して苦しくなってたけど、昨日、苦しくなるのをやめた。
母親としてがんばるのをやめた。
我が子にはそれが合わなかったから。
私の中の(自分が受けてきた)母親像は、厳しくて、高圧的で、感情的で、子を支配するものだった。
子どもとしての私はそれがすごく嫌で抜け出そうとして、安全基地たり得る母親となることを求めてがんばってきた。
でもやってもやっても出てくるのは自分が持ってる母親像だけで、それが我が子という鏡に映って、見てる自分が苦しくなった。
しかも、我が子は私が元々持ってる母親像(厳しい)も、私が理想とする母親像(優しい)も、どちらも求めてなさそうだ。
(それは、我が夫が母性(=包容力)著しく、既に我が子を満たしきっているという理由もある。)
(そもそも、我が子の自立心の高さがすごいのもある。必要最低限、しかも限られた場面での保護以外、必要としていないように見える。)
私のひとりずもうだった、とがっかりすると同時に、もう私は囚われなくて自由に生きていいんだ、と分かった。
そのために我が子は私のところへ来てくれたのかもしれない、と都合のいいことさえ思った。
母親になって5年半弱、今またフェーズが変わったな、大きく変わったなという昨日だった。記念の日記。
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