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自己紹介(小学生編①)

今回は自己紹介(小学生編)です!
長くなりそうなので、2つに分けて書こうと思います🖋



小学校は、関西学院初等部という大学まで続く私立校に通いました。
兵庫県の宝塚に学校があり、通学路の途中に宝塚歌劇団の劇場があったので、毎朝タカラジェンヌの方々に「おはようございます!」と挨拶をしながら通っていたのを覚えています。
小学生も電車通学でしたが、毎日遅刻ギリギリで、最寄り駅から学校まではダッシュしていました笑(そのおかげか、マラソン大会では毎年3位以内でした👍)





小学生の頃は、仲良い子はいるけど基本的にどのグループにも属さない、でも一匹狼でもなく、日によって一緒にいる友達が変わるという自由な子供でした。
自由きままに友達のところへ遊びにいき、気が済むまで遊んだら別の友達のところへ行き…という感じでしたね。
大人になってから当時のことを友達に聞くと、不思議ちゃんだったね(今も)と言われます笑



父とは、「感覚の練習」をよくしていました。
釣り堀に行ってウキをつけずに釣竿を垂らし、魚が餌を食べたと感じたら釣り上げるという相手の空気を感じ取る練習や、街を歩いて空気が変わる瞬間(場所)を感じとる練習、飛んでくるピンポン玉を考えずに感覚だけで避けたり、目をつぶって相手が突いてくるのを感じ取って避ける練習等、感覚を研ぎ澄ます練習をしていたことを覚えています。
不思議な稽古でしたが、私は釣りの練習が1番好きでした🐟
なにか物事を決める時に、「これだ!」と思ったものへの決断の速さ、勘の鋭さはこの練習のおかげかなと思っています。
と同時に、友達から不思議ちゃんだと思われていたのもこれが影響しているのかなと😅





空手に関しては、1年生から5年生まで大阪代表で全国大会に出場していました。
大阪は人数が多いので、予選から120人ほどの選手が出場し、内2人が全国大会へ出場できるというルールでした。

6年生は修学旅行があり、行き先はカナダだったのですが、ちょうど全国大会予選と日程が被ってしまったので、私は空手を選び修学旅行には行かず全国大会予選に出場しました。
しかしまさかの予選敗退💦
小学6年生の時だけ全国大会に出場できなかったんです。悔しい〜!
ですが母が、「じゃあハワイでオープン大会があるからそっちに行こう!」と言ってくれたので、その年は「試合に行ってきます!」と学校を休み、ハワイへ飛び立ちました😂

私の、「マイナスなことがあってもなんとかなるだろう」「マイナスなことがあったらなにがなんでもプラスな方向へ変えてみせる」というポジティブ思考は、どんなことも受け入れた上でプラスに変えていくという母の背中を見て育ったからかなと思っています。



小学1年生から、全国から選手が集まる合宿に参加する等、自主性が必要な場に身を置き心身共に鍛えました。
最初はキツすぎるメニューに泣いたり、年上ばかりで上手く馴染めなかったりと大変でしたが、参加していくうちに人間関係を築くコツを掴み、合宿等の機会を通して人脈を広げていきました。
今でもその人脈のおかげで輪が広がり、空手でも活かされています。人との繋がりは大切ですね。
このような機会を与えてくれた両親にはとても感謝しています✨





次の投稿では小学生舞台編を書いていこうと思います!
今回も読んでくださりありがとうございました!
次回もお楽しみに…❤︎






大内美里沙
2024.11.23


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