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主体性 part2

仕事を選ぶもっと前の、なにをしたかったのか、そもそもなぜ建築学科に進んだのか。
夜空を眺めながらそんなことを思い返していた。

僕が建築学科に進んだ理由、それは

「家を建築したい」

という思いだった。

中学校時代、実家が家を建てた。
その時の思いが、そもそものスタートだった。
僕は、こんなに激烈に自分の人生の時間をこの会社の為に捧げている。
しかしそのエネルギーを、もっと自分のやりたいことに向けることができたらどれほど楽しいだろうか、いや、例え楽しくなくても心から納得ができるのではないか。

その一歩を踏み出してみないか。

その問いかけは、当時の僕にとっては最も邪悪な犯罪行為の様に思えた。
この問いかけや、主体的に生きたいという綺麗事の感情は、今の自分から逃げるためのまやかしの様にも思えたし、とてつもない言い訳の様にも思えた。
案の定、周囲の親族からの反対はとても大きかったことが、僕をより疑心暗鬼の中へと引きずり込んでいった。

僕は生きている。
そして、この人生は自分のものである。
そこに一点の曇りもない。
ただそれだけが事実なのだ。

踏み出してみよう。
選択してみよう。
与えられた見えないレールの様なものから足を踏み出して、自分で道を歩いてみよう。
行ってみたい方へと目を向けて、足元の状況を確認して、自分の心拍の鼓動を感じながら進んでみよう。


そんな思いで、反対も押し切り、自分で選択をしたその瞬間から、
僕は自分の人生に初めて主体的になれたのだ。

ーーー

僕はなぜここにいるのか、なぜこの仕事を選んでいるのか、なぜ生きているのか、全ての問いにはっきりと答えることができる。
お客さんのために、自分が貢献できる方法で喜んでもらいたいと心から思える。
今までの人生も、これからの人生も、全てを前向きに捉えることができる。
それは他ならぬ、主体的にものを考えられるようになったからである。

主体的に生きる

それはあらゆることを肯定してくれるようにも思うのだ。

僕は何度も挫折を味わった。

中学、野球部の最後の大会で3人しかいない補欠で、スタンドで同級生の試合を応援したこと

高校、サッカー部の試合で相手から唾をかけられ、自分より体も大きく技術も高度なその選手に怯えて気付いてないふりをしたこと

大学、アイスホッケー部で反則を受けて顎の骨が折れた時、その相手選手に文句の一つも、プレーでやり返すこともできなかったこと

社会人、圧倒的ミスで現場に大きな混乱を招いてしまった時、先輩方皆様が一生懸命走り回りながら対応している中、呆然と立ち往生しただ泣いていたこと

全ての挫折を、当時の自分は周りのせいにしていた
なぜもっと強い身体を与えてくれなかったのか
なぜこんなにも弱い精神力につくったのか
なぜこんな容姿なのか
なぜこんなにもかよわいのか
もっと強かったら
もっと上手かったら
もっとかっこよかったら
もっとセンスがあったら

しかし、その経験は、僕に主体的になれと叫び続けていたようにも思えないだろうか。
その経験を主体性を持って体験できていたら、もっと人生は良い方向に動いていかないだろうか。

技術が足りない、容姿が足りない、営業がとれない、活躍できない、
そんな経験を能動的に受けていたら、
どれほどの絶望と自己肯定感の喪失につながるか想像に難くない。
しかし、主体的に捉えていたら、それは全てが大事な経験の一つになる、意味あるものになるのだ。
技術が足りないなら練習しよう
容姿が足りないならたくさん話しかけてみよう
営業がとれないなら、別の方法で試してみよう
活躍できないのであれば自分の強みをもう一度分析してみよう

主体的であることは、どんな困難にも乗り越える力を与えてくれることなのだ。
どんな絶望も、どんな逆境も、主体的に自ら求めていけば、全ては肯定的なものでしかなくなる。
失敗も、挫折も、全てのことが目標への糧になる。
自分の人生を周りに委ねるのではなく、自分自身が舵を取り、船を漕いで動き出さないと、その船はいつまで経っても進まない。
船を自らが漕ぐ覚悟さえ固まれば、どんな荒波も、どんな強風も、その先にある大地へと連れていってくれる大事な経験になるのである。

ーーー

主体的に生きよう

自分の人生に積極的になろう

能動的に、周りに合わせるのではなく

自分から求めていこう

自分から手を伸ばそう

主体的に生きることは、

自分の人生を肯定することなのだから

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