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経年劣化

人は歳をとる生き物だ。
昔は早く歳を重ねて大人になりたいと願ったものだが、その想いも歳と共に変化するらしい。

住宅も歳をとる。
それは住宅に限らず、あらゆる物事は時間をかさねて劣化していく。

ここで考察したいのは、

自宅の事を、「人生の相棒」だと思ってみる、ということだ。
それは妻もそうだし、仲間もそうであるし、自宅も同じく生き物として。

住宅も歳をとる。
塗壁はひび割れを見せ、無垢材の杉板床は隙間が広がってくる。
そったりむくんだりを繰り返している。
水廻りはカビが生え、棚には埃が溜まっていく。
家具は歪みを起こしたり、木材は日に焼けて色褪せていく。
子供がおもちゃをひっぱれば、床には傷が増えていき、ものをこぼせばシミが現れる。

新築として現れたその日から、1日1日と家は衰えていく。

住宅が私の相棒だとしたら、その光景は至って自然な人間活動と共に歳を重ねていくことと全く相違ないのではないだろうか。
色褪せた表情は、私たち家族を相棒として守ってきてくれた年月の賜物であるし、
あらゆる場所に重ねられた傷は、私たちが成長を重ねた証でもある。
ひび割れや歪みは、歳を重ねた成熟であるし、そりやむくりは住宅が生きている証である。

住宅は動くことができない。
私たちが日々、体のメンテナンス(美容品を塗ってみたり、健康のための運動をしてみたり)を行うように、
いつも守ってくれる住宅に対して、掃除をしたり、再塗装したり、気づいた時には住宅のメンテナンスをしてあげながら、
一緒に生きていきたいと思う。

水漏れや穴が空いていたら、それは骨折や大風邪を引いたようなもので、直ちに病院に連れていくように、専門家に治してもらおう。

そうやって、日々の生活を「相棒」と暮らしていくと考えると、歳を重ねてできてくる劣化も、愛でることができるように思えないだろうか。
傷も、日焼けも、ひびわれも、
「あなたも歳をとったね」と優しく微笑みかけてあげられないだろうか。

この一種の愛情のような想いを、私たちが住む住宅に感じることができたのなら、そこで暮らしていく生活はもっと豊かなものになるに違いない。
一つ一つの劣化にストレスを感じるのではなく、一緒に歳を重ねた相棒に対するシンパシーのようなものを感じることができたのなら、私たちの生活はもっと愛情深いものになっていく。

この家と、この家族と、これからの人生を一緒に歩んでいく。
その想いが、住宅の「経年劣化」を肯定する唯一の救いなのかもしれない。


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