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結局「恋人がいる」という称号が欲しいだけ説

それほど好きでもない人ととりあえず付き合ってしまう話。

なんでそんなことするんだろう?と考えていたのですが、もっと自分の根源とか核心に迫るような、深い部分に根差してる気がします。単に、誰かを愛したい・愛されたい・一緒に素敵な時間を過ごしたいといった、そんな単純なものではなくて。

ゲイだと確信した高校時代、周りの友達たちに彼女ができ始めます。彼女とデートしたとか、童貞を卒業したとか、ほのぼのする話から生々しい話まで、色々な彼女との思い出話を耳にしました。大学に進学すれば、それはもっと現実味を帯びてきます。一緒にお風呂に入ってるとか、同棲してるとか、一緒に旅行に行ったとか、仲睦まじいカップルたちが僕の周りで爆誕していました。

そんな中、僕は というと、ゲイであることを隠しながら、ウソに塗れた毎日をひっそりと生きていました。彼女いないの?とか彼女作らないの?とか、その手の質問には適当に取り繕いながら、同年代の幸せなエピソードをただただ聞くことしか出来ませんでした。今ならアプリで出会うみたいな選択肢がありますが、当時の自分はとにかく身バレが怖くて、アプリに良い印象もなくて、1歩踏み出す勇気は持てなかったんですよね。

この頃からですね。「恋愛・結婚・子育て」とか、周りの友達が普段何気なく話しているテーマに、自分は永遠に入れないんじゃないか?という漠然とした疎外感が生まれたのは。朝井リョウさんの小説『正欲』の言葉を借りるなら、「地球に留学している気分」って感じです。

そして、周りが当たり前のように経験する ”幸せ” を、自分は一生味わえないんじゃないか、というこの先の人生への絶望感。そんな自分とは裏腹に、恋人と一緒にキラキラした素敵な時間を過ごしている同年代に対する羨望と嫉妬。こうした感情がどんどんと心を蝕んでいきました。まるで強烈な毒みたいに。

昔好きだったノンケの友達が、彼女とイチャイチャしてる話を聞いて、3日間寝込んでしまうくらいには、僕の心は脆いんですよね。(これたぶんゲイあるある笑)

で、初めの問いに戻るんですが、それほど好きでもない人と付き合ってしまう理由。それは、「彼氏がいる」という称号を手にすれば、こうした鬱憤や窮屈さから解放されるからなんじゃないか、ということです。"目の前の相手を愛する" みたいなそんな高尚なものではなくて、疎外感とか嫉妬とか人生への絶望とか、そんなものから解放されたいといった、すごく利己的で自己中心的な理由だな、と思うんです。ん?恋愛なんてそんなもん?ほんとに?

世間体を気にして、幸せの尺度を周りに求めるのは人間の性なのでしょうか。

1年前にアプリを初めて彼氏が出来ましたが、結局半年後に別れがやってきます。そんな今思うのは、「長く関係を続けられない自分は、他者と比べてひどく劣っているんじゃないか」という劣等感や虚無感。どこまで他人と比べりゃ気が済むんだ、って話ですよね。

はい、取り留めのないことをつらつらと書きましたが、要は自分に自信がないのかなぁ。彼氏・結婚・家族・子育て、確かに万人の共通認識としての幸せなんだけど。究極の幸せってさ、他者を介在させないものだよね。頭では分かってるんだけどねぇ…

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