2024年7月2日(火) 無理して詩を好きでいなくてもいい
昨日は月初めの日でした。月の終わりの日と、月初めには、「詩の通信教室」へ送られてくる詩がいつもより多くなります。
ですから昨日は、通信教室に来た詩をいくつか読み、感想を書いていました。
全部を一日では書けません。集中力が途切れてしまうし、そんな状態で書くのは、詩に失礼だと思うから。
昨日も、たくさんの詩を、翌日へ取り残しました。
「詩の通信教室」というのは、月にひとつの詩を送ってもらって、ぼくが感想を書いて送り返す、というシステムです。
コロナ前から始めたので、もう四年ほどになるでしょうか。
特に、入会とか退会とか、かたぐるしいことはしていないので、詩が書けた時にだけ送ってもらうのでいいのです。ですから、詩を毎月送って来ていた人が、ある時からぱったり来なくなる、ということがよくあります。
それでいいのです。
詩って、夢中になっている時は書けてしかたがないものですが、ある日急に、書けなくなる、そういうものです。ですから、人によって違いはあるけれども、2年ほど書いて、やめてしまうという人が多いように思います。
それはたぶん、詩に飽きた、というよりも、ぼくの感想に飽きたのかもしれません。
それでいいのです。
必要だと思う時にだけ送ってくれれば、ぼくは感想を送り返します。
それでも中には、この四年ほどの間、ずっと送り続けてくる人が何人かいます。そしてこれは偶然なのかもしれませんが、その人たちはみな、今や、詩の世界でとても重要な仕事をしています。
詩への、継続する情熱を持っているからこそなのかな、とも思います。
すごいな、と思います。
でも、もし自分がそうでなく、飽きっぽい性格で、やめてしまっても、ぜんぜん問題はないのです。
自分はそういうタイプなんだと、詩に正直に向き合っていればいいのです。
自分は、どこかの誰かではなく、この自分なのですから。
無理をしないことです。
詩から遠ざかってからずいぶん経って、「あの頃、なんであんなに夢中になって詩を書いていたのだろう」と、ふと思ってしまう人も、ぼくは好きです。
詩は好きだけれども、結局、詩で、とくに何を成し遂げたということもなく、ちょっと手を染めただけ終わったとしても、いいと思うのです。
好きになったことに嘘はなかったのだから。
人それぞれなのです。
だって、そもそも、「詩で何かを成し遂げる」なんてことが、あるものかと、思いもするのです。
かつて一時期、詩と付き合っていたことがあった。その頃はホントに詩に夢中になって、まじめに向き合っていた。それだけのことなのです。
それでいいと、ぼくは思うのです。
詩に気をつかう必要はないし、詩に気を遣ってもらうこともない。
ですから、詩を書いている時期がずっと続いている人も素敵だし、
詩をすぐにやめてしまった人のうつむきも、じゅうぶん素敵だと、ぼくは思うのです。