2024年6月1日(土)詩に立ち向かう生真面目さ
昨日は午前中に、6/15の、鶴見での講演の原稿を書いていました。講演は1時間20分ほどの長さを予定しています。
1時間20分、ひとりで話をするってどうなんだろう。ぼくの友人は昨年、3時間の講演をしたと言っていたから、それよりもだいぶ短いけれども、それにしても、あっと言う間に終わる時間ではない。
「虎に翼」なんか観ていると、かなり物語が進展したと思って、テレビ画面の時刻表示を見ると、まだ7分しか経っていない、ということがあります。
そんな時、朝ドラをゆったりと観ていたぼくは、にわかに、「自分に1時間20分も話すことがあるんだろうか」と、急に不安になってきたりするのです。この不安を、ぼくは大事にしようと思っています。
講演のために原稿を用意しているのではない。伝えたいことがあるからやっているのです。1時間20分も、伝えてよいと許されているのです。
それを忘れてはいけない。
さて、昨日は夕方に家を出て、荏原中延の「隣町珈琲」に行ってきました。
平川克美さんのエッセイ講座を見学させてもらいました。
平川さんの言葉を聴きながら、いろんなことを考えていました。充分に刺激的でした。
なんだろう、この空間で参加者たちは、それぞれの時を作っているのだなと感じていました。
「時をつくる」ってなんだろう。
うまく言えないのですが、放っておけば流れ出してしまうものを、堰き止めようとする何かのような気がするのです。
途方もない生真面目さのようなものです。
そしてぼくが惹かれるのは、詩とか文学そのものというよりも、詩に立ち向かおうとする生真面目さなのだと、思いもするのです。