ウルトラマントリガー、波紋を呼んだ訳とは
始めに
16年ぶりのTVシリーズとしてのみならず、国民的スターの長野博氏を主演に据えたことや、今までのシリーズと全く異なる世界観等で大いに注目され、ウルトラシリーズ復活の象徴となった『ウルトラマンティガ』。
そんな『ティガ』の25周年記念作品として2021年に放送されたのが、『ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA』である。主人公ウルトラマンであるウルトラマントリガーのデザイン等、その世界観や細部の設定には『ティガ』を想起させる物がふんだんに盛り込まれており、その副題と相俟って放送前から良くも悪くも注目を集めていた。
筆者はこの作品を楽しんだ。勿論、完全無欠ではなく改善して欲しかった点もある。それを差し引いても、毎週続きが気になる程楽しめた。
しかしながら、今作は近年まれにレベルで賛否が分かれてしまった。しかもそれがヒートアップし、ファンやアンチが互いに誹謗中傷し合う事態にまで及んだ。それがあまりにも深刻化し、中にはその場の流れで暴れている人々も見受けられた。
そこでこの際、この作品が批判されている理由が何なのかを筆者なりに分析し、この論争に終止符を打ちたいと思い、この記事を書く。
予め言っておくが、筆者はこの作品を楽しんだ「賛」側だが、だからと言って「否」側の人々を陥れる気は一切ない。一方、私もこの作品に対しては要望や願望がそれなりにあったが、それで作品を駄作扱いする気はない。
あくまでも一種の「研究結果」として読んで欲しい。
それでももし、『トリガー』を少しでも悪く言われるが許せない…というのなら、この記事を読むことはあまりお勧めしない。
あとネタバレ注意である。
批判点その1:ティガとの距離感
論争で真っ先に挙げられる要素である。
先述の通り、『トリガー』にはオマージュ元とも言える『ティガ』を連想させる要素が多い。ハッキリと分かるだけでも、トリガーのデザイン、そのフォームと技の名前、変身アイテム、防衛チーム、敵勢力…等数多い。しかも、主要人物の一人であるミツクニ会長に至っては、ティガスペースの住民であり、更にその防衛チームであるGUTSの一員だったという驚愕の設定まで明かされた。『ティガ』本編の出来事や事情も一通り理解しているらしく、ある意味では『ティガ』を視聴していたファン目線を作中に落とし込む為、または未視聴勢に対する解説役だったと言える。他にも、第19話でティガが登場したことや、『トリガー』最終回でも『ティガ』の最終回の回想シーンが差し込まれる等、兎に角ティガを意識させる要素が多い。
恐らくは製作側のファンサービスであったり、製作側の『ティガ』愛の表れなのかもしれないが、どうにも一部のファンには受け付けなかったようだ。
というのも、これ程までにオマージュが強い一方で、マスコットキャラクターや1話限りの敵役の選定、その扱い等の細部についてはあまり『ティガ』要素が強かったとは言えなかった。それのアンバランスさに加えて、それ以外でのオマージュ描写の多さが人によってはくどく感じられたらしく、「ティガのネームバリュに頼りっぱなしでオリジナリティーが中途半端」「最終回でまでダイレクトに言ってきたのは流石に押し付けがましかった」と、冷ややかな意見も多数寄せられた。
そもそも、今作は『ティガ』を基にしつつも、その世界観や時系列をリセットしている訳ではなく、寧ろ基になったそれとの関連性を作中でもリアルな販促面でも強く押し出している。その為、円谷やその競合社でも過去にあった「リブート作品」とは立ち位置が異なっているのだが、そちらを思った視聴者が多い分、このような製作陣と視聴者との乖離が起こったのだろう。
批判点その2:キャラ描写の偏り
先程の批判点は、『ティガ』未視聴のファンからはさして問題視されていなかったが、ここからはその区分け問わないものとなっている。
防衛チーム「GUTS-SELECT」が設定されている今作だが、その分メインキャラクターも前後の作品に比べてやや多めになっている。しかし、そのキャラ描写は、主人公のマナカ・ケンゴ、ヒロインのシズマ・ユナ、双方の相棒的存在のヒジリ・アキトの3人と、彼らと度々接触するイグニスに特に多く割かれている一方で、他のメンバーについてはメイン回が振り分けられず、やや描写不足な面が強かった。(強いて言うなら総集編が実質的なマルゥルメイン回になる)
それに加え、その残りのメンバーのキャラ付けはやや個性が強く、その背景やそれが活かされた場面があまり多くなかったこともあって、(特にテッシンとヒマリについて)「ただの賑やかし」「このキャラ付けでなければいけない理由が見当たらない」等、厳しい声も少なからず上がった。
この問題は、恐らく「描きたかったもの」と「尺の都合」が関係していると思われる。メインの3人は登場人物の中でもより若者の部類であり、最終的に発覚したケンゴの実態と「エピソードZ」での総括を考えると、「戦いを通して成長していく少年少女のジュブナイル」「ケンゴが生まれた理由を探すまでの物語」を主軸に物語を進めたかったのだと思われる。イグニスという異種族キャラも彼らと行動を共にする中で感化され、考えが変わっていく様とそれに裏打ちされた絆と団結の影響力を描く為の一種のスパイスだと考えられる。きっと防衛チームが用意されたのも、彼らが戦いへと赴く過程を不自然なく書く為であったのだろう。それは描けていたと思うが、ウルトラシリーズは競合社のシリーズに比べて尺が圧倒的に短い。加えて、今作ではメインの敵役も複数存在し、彼らサイドの話を描く必要もある。より限られた尺の中で複数のストーリーを進行していくとなった際に、よりメインで描きたいストーリーを優先していった結果、大人組のストーリーは一種の取捨選択によって泣く泣く削られてしまったのだろう。
批判点その3:闇の巨人贔屓
身も蓋もない言い方をしてしまうと、メインの敵役である闇の巨人の強さや驚異のアピールに注力する一方、1話限りの怪獣扱いが少し軽いことが多々ある。
過去作においてもメインの敵役がアイテムを通じて怪獣を瞬時に召喚・使役することは多く、それについて「その怪獣が出てくる必然性を感じない」「戦闘シーン消化要因になっている」等の意見は多かった。それでも、逆に言えば対手の戦闘シーンでその怪獣達は各々の能力を活かし、ウルトラマンや人間に対して倒されるまで脅威であり続けた。加えて、令和ウルトラマンが始まって以降は野生怪獣の描写も多くなり、上記のような声も多少落ち着きを見せつつあった。
しかし、今作ではメインの敵役である闇の巨人の脅威や強大さ、ウルトラマンサイドに負けず劣らずの濃いキャラ、それぞれのライバルとの因縁等、数多くの要素を描こうとした結果、その煽りと皺寄せを1話限りの怪獣が受けることが増えてしまい、前座や「ついで」扱いが目立ったせいで不満が爆発してしまった。
その最たる例とされているのがギマイラ、デスドラゴ、メツオロチの3体だ。
ギマイラは、初めての再登場だった『ウルトラマンタイガ』でも中ボスに抜擢されるなど、その強敵ぶりは今も語り草になる程だが、『トリガー』ではウルトラマントリガーを苦戦させこそしたものの、圧倒的な力の差を見せつけたわけではなく、基本形態のマルチタイプだけで倒された上に、結局はダーゴンの前振りで終わったことに対して、「怪獣を軽視している」「ただのかませ犬」等の意見が飛び交ったのは今尚覚えている。
そしてデスドラゴ。トリガースペースで最初に現れた怪獣で、アキトの両親を手に掛けた怨敵というかなりの大役を任され、その登場は次回予告の時点で多くの視聴者を期待させた。だが、本編では一度トリガーを得意の電撃で苦しめこそしたものの、アキトとの戦闘シーンは作中でのファーストコンタクトのみに絞られ、再戦時でもトリガーの咄嗟の力押しだけで倒された。しかも、この2度目の戦闘シーンは、ユナを狙うダーゴンとの追跡劇と同時並行で流された上、ケンゴとのやり取りを経て心を改めたアキトも(キャラ設定上当然だが)デスドラゴとの決着ではなくユナの救助に出向いたことで、その注目度を彼らに奪われてしまったことは否めない。
最後にメツオロチ。こちらは前形態のメツオーガを含めると、2話に渡って暴れ回り、トリガーとトリガーダーク、そしてGUTS-SELECTを翻弄しており、強敵としての威厳と箔を十分に見せつけた。だからこそ、その決着の直前になってカルミラが乱入してきたことがいただけなかった視聴者は多い。折角それまで緊迫感溢れるシーンを続け、メツオロチの脅威をほぼ文句なしに描けてきたのだから、それを討伐してハッピーエンド……となって欲しかったという声は少なくない。相変わらず闇の巨人の描写が優先されたことでメツオロチへのトドメも本題に入る前の作業感が強くなってしまったのである。
このようなことの原因も、やはり先述の尺の問題だろう。「これは描きたい」「こんなシーンは絶対外したくない」…そんな描写をねじ込んだ結果、その話ごとの怪獣達の詳細なエピソードを切り捨てざるを得なかったのだろう。
但し、この問題は全ての話に言えることではなく、話によってはその担当の怪獣の描写がしっかりしていたという声も少なくない。
まとめ
以上3つが筆者なりに調べ、分析した批判点である。
今回は敢えて批判点として列挙したが、これらについて肯定的に見ている意見(「オマージュの加減はこれでよかった」「製作側が描きたかったものが見れて伝わったから満足」「闇の巨人の存在感がしっかりと伝わった」等)も多いことは留意して欲しい。
加えて、これらはコロナウイルスによる外出自粛や感染対策などの中で大幅に描き換えられたものであり、ここで明かせなかった設定や描写も少なくなかったことも忘れないでいただきたい。
今作はそのコンセプトや作品そのものの位置づけから、挑戦的な要素が多く、それと今までの路線とのバランスのとり方が非常に難しかったように思う。
それ故に賛否も大きく分かれたのだろうが、決して異なった意見の人物を傷つけることはしてはいけない。
次回作では、より多くのファン同士がより友好的に感想を話し合えるようになっていることを願うばかりである。