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【人生記録】夢に祖母が出てきた話

おばあちゃん子なオレ

両親が共働きだったので必然的に幼いころから祖母と一緒の時間が長かった。
普段のメシも小学校の弁当もほぼ祖母の味だった。
小1の誕生日に祖母から貰ったプレゼントは「12色の色鉛筆」だった。
その当時わがままいっぱいな俺はどうしても24色の色鉛筆が欲しくて、結果プレゼントは受け取らず後日、母親が24色を買ってきてくれた事をずーっと後悔している。祖母はおそらく返品してきたと思われ、その12色の色鉛筆を見ることはなかった。
二十歳を過ぎたころ、「オメ(おまえ)が今まで家に連れてきた彼女が全員家にやってきた夢を見た」とある朝、ニヤニヤしながら言われた事はずーっと不思議に思っている。
祖母が認知症になり、デイサービスに通い出した頃、俺は25歳で結婚する事となった。
理由は、

  • 彼女(のちの嫁)から借りた10万円が返せそうにない事

  • 彼女(のちの嫁)が別れてくれそうにない事

  • 俺は金遣いが荒いのに対し、彼女(のちの嫁)は家計簿をつけていた事

そして
『祖母が俺を忘れる前に披露宴を挙げたかった』事

その後、祖母は施設で生活する事になり、入所して4年後くらいで亡くなった。

幸多くない人生の様だった

我が家のルーツは調べるのが難しい、そもそも同じ苗字の親戚がいない。
祖母は祖父の二番目の再婚相手だった。
悲しいかな、息子(俺の父)が一歳の頃、急死しそこから母子家庭で暮らしていた。
今ある我が家の墓は我が家代々というよりは祖父が赴任していた土地(警察官だったよーな)に建てた様な話を訊いたことがある。という訳で祖父筋の親戚も全く知らない。
一人息子を一人で育て、生まれた初孫が俺なのだ。

そんな初孫の俺は施設に見舞いに行った際、祖母に
「逝くなら一気に行け*ボケるなよの意」と話しかけ、祖母も
「んだなぁ」と笑顔でのやりとりだったが、それを聞いていた周りはかなり引いていた。

祖母が亡くなって何か月か経った日の事、夢に祖母が出てきた。

夢の内容

夢の中でも祖母が亡くなった場面から始まる。
冷たくなってる祖母と一緒に家で留守番してるのは俺だけ。
横たわってる祖母を見てると、祖母が自分の遺体の上に浮かんでるのが見えた。
「あー、暇だなぁ」
明るい祖母が俺に言う。不思議と怖いイメージが無い。
「もう少しで和尚さんとか来るから我慢しろよ」
このあと、和尚が我が家に来ることになっていて家族は迎えに行ってる最中だった。
暇な祖母は空間をあっちこっち飛び回っている。
「おとなしくしろよー」
「だって、暇だし」

そうこうしてると葬儀屋の人が準備にやってきた。
そっと姿を消す祖母。様子をうかがう俺。
準備をしながら葬儀屋が言う。
「今、その辺(指を指して天井の方)に居ますね?」
「あれ、見えるんですか?」
「はい、もう少しの辛抱ですからね」
笑顔で葬儀屋はそう言い、準備が終わると我が家を去った。
少しして祖母は「見えるもんなんだね~」と不思議がった。
そりゃこういう業界に居たら見えるだろ。
俺はと言えば、葬儀屋が言った「もう少しの辛抱」のワードに、もうすぐやってくる祖母との別れを強く感じ始めていた。

家族が和尚を連れて家に入ってきた。
少し、そわそわしながら浮かんでる祖母。
和尚は祖母に気づき「今、その辺に居ますね。今、楽になるからね」と天井に向かって言うのだった。
そして、和尚が唱え始めると祖母の姿が下半身から薄くなりだした。
(も少しで楽になるよ)
俺も心でつぶやいた。
薄くなりだした祖母は少し動揺しながら浮かんでいる。
その時おれは小1の誕生日を思い出した、『絶対言わなきゃ!』

ばあちゃん、あの時12色の色鉛筆要らないって言ってごめん。ほんとは嬉しかったんだよ。

急に涙がこぼれだした。やっと言えた、謝ることが出来たんだ。
「そんなこと良いんだよ」
祖母は笑って俺に言った。
「ずっと言えずに後悔してたんだ」
ほんとにごめん、そして今までありがとう。
祖母は笑顔のまま姿が消えてしまった。

俺は涙が止まらず、その後も「ありがとう」「ありがとう」って呟いた。

目が覚めて

隣で寝ていた嫁がびっくりしていた。
何故なら
「となりの布団で号泣しながら夫が寝ているから」だった。

当の本人もびっくりした。ひとまず嫁には祖母が夢に出てきた話をしたら、
「そう」とそっけない返事だった。

その後、親父が亡くなった時も何か月かして夢に出てきたことがあった。
そん時は、
既に死んでるのに自分の葬儀をプロデュースしてオレが指示される、という内容だった。

祖母の夢より親父の夢の方が寝覚めが悪かった。

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