5月18日

最近のこと(悲しかったこと)

会社で泣いてしまった。注意されていることに対して、頭の中でそうだよなあとか、不甲斐ないなあとか、でも時間かけて頑張ったのになあとか考えていると、そういう単純明快な悲しみが溢れて涙になって出てくる。でも本当のところは、限界になってしまったその原理まではよくわからない。気づいたら溢れて止まらない。でも、その話し合いが終わるまで席を立って逃げたりはしなかったので、本当に自分は真面目で偉いなと思う。
泣いた後は自己嫌悪に陥り、助けてくれない周りを恨み、一周回ってケロリと回復したフリをしていたら大抵の場合は悲しみを置いていける。急な対処は心に悪いけれど、仕事中は仕方がない。

昔からかなり泣き虫で、小学生の頃クラスの男の子が遊んでいたボールが飛んできてぶつかるだけで泣いていた。この頃もよくわからずに涙が溢れて、泣いた後はやはり、ひどく後悔していた。今と何ら変わらない。
24歳で人前で泣くのはやはりおかしいんだろうか。大人になると、泣いても誰も励ましてくれない。というより、どう接して良いか分からないのだと思う。小学校のクラスと男の子もそうだった。(それでも謝ってはくれた)

色々な理由の悲しさで夜眠りながら泣くことも多々あった。というか皆んなそうよね。涙がこめかみを通りすぎて生え際に染み込んでいく時の感覚はずっと変わらないので、この瞬間だけは昔の自分と重なって、昔の自分の悲しみの受け皿になれているような気がする。

話を戻すと、そのあと結局、悲しみをバネに朝の6時まで仕事をしていた。普通に仕事が間に合っていなかったから。気骨ありまくり。自分が神なら来世は何かすごいものに転生させてあげると思う。何が良いかなあ、迷う。

どんな嫌な理由で始発で帰っても、朝の空気の清々しさには勝てない。良いなあと思ってしまう。暖かい気温と澄んだ朝は生きる希望が湧いてきてすごい。多分そういうふうにできているのだと思う。

そのあと帰ってシャワーを浴びてご飯を食べて、2時間だけ寝るつもりが起きたら出社時間をとうにすぎていた。
誰も気にしていないのはうっすら分かっていたし、これは少しずつ狂っていった生活の乱数調整の寝坊なので、自分を許した。

この日記を書いている合間にも寝た方が良いのだけれど、本当にこういう時間帯じゃないと積み重なった日々の気持ちの浮き沈みと向き合って精算する時間が取れない。
そういう感じでバタバタと就寝します。
もちろん良いこともあったので、また書きたい。

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