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僕らは多次元に生きている

みなさん、こんにちは。Naseka です。
私は 哲学者・エッセイスト として、
自らを定義しています。

私は三次元の世界に留まらない。
俗に言うところの二次元世界に
のめり込んでいるわけでもない。
四次元以上の世界を生きている。
…といったら、信じるだろうか?

でも、これを読んでいるあなたも、
自覚がないだけで多次元世界には
たくさん触れているはずだよ。

今回はそんな話。


私たちの生きている四次元世界

あなたは何次元の世界に生きているだろうか?
三次元?
ちなみに私は大学生時代、
二次元へ片足を突っ込んでいた。
(俗にいう アニオタ的なヤツである)

今はちゃんと四次元世界で生きている。
え?「三次元じゃないのか」って??
いやいや、あなたも私も生きているのは
『四次元』だよ。

そもそも「次元」とは

「長さ」あるいは「距離」という
「ひとつ」の要素で確定するのが
『一次元』

数直線上では、ひとつの数字で
「ここ」という位置が特定できるよね。

それが「縦の長さ」と「横の長さ」の
「ふたつ」の要素になると
『二次元』になる

方眼紙で縦に〇マス、横に△マス移動すると
「ここ」という位置が特定できるよね。

二次元の要素に
「高さ」という要素が加わったのが
『三次元』

「縦」と「横」だけ指定されても、
「高さ」が分からないと
「ここ」という位置が分からないよね。
3つ揃って初めて位置が特定できる。

3つだけで本当に特定できる?

なんで私たちが生きているのは
『四次元』なのか。

確かに「空間」は『三次元』だ。
「縦」「横」「高さ」で
「ここ」という「位置」は特定できる。

だが、これを読んでいるあなたが
今 立って(または 座ったり 横になったり)
している場所、
そこには ずっとあなたが同じ姿勢で
存在しているのだろうか。

もし答えが「Yes」だったら、
きっと あなたは仏像か何かなのだろう。
普通の人間は、時間によって
居場所が変わるからね。

もっとも、仏像ですら
作られる前の時間に遡れば
そこに存在はしないし、
未来永劫に渡って同じ位置に
存在し続けることもないだろう。
(そもそも地球の寿命だって有限なのだ)

だから、私たちの存在する世界は
「縦」「横」「高さ」と
「時間」が揃って 初めて
そこに何があるのか(あったのか)が
特定できる『四次元』なのだ。

何を考えて決めている?

実はここからが、今回の本題。

物質的な「カタチあるもの」については
たしかに『四次元』であることに違いはない。

だが、「カタチのないもの」については
実は私たちの身の回りには五次元以上の
「『多次元』世界」が広がっていることに
ふと気付いたのだ。
(まぁそれなりに昔から気付いてはいたのだが、
 note を始めるまで世に出す場がなかった)

「今日のお昼、何食べようか?」

たとえば妻との会話で
「今日のお昼、何食べようか?」
なんて話はよく出てくる。

「私は何でもいいから、そっちが決めてよ」
などと言おうものなら
険悪ムードで食事どころではなくなるから、
こちらも相応に考える。

「自分で作る気はないしなぁー…」
「かといって妻も作る気はなさそうだ」
「そんなに遠出もしたくないし…」
「めちゃめちゃお腹が空いてるわけじゃない」
「イタリアンなんて気分じゃないし…」
「興味があるあの店は、昼間は混むんだよねぇー」
「近所のラーメン屋は先週行ったばかりだしなぁ…」

あれこれ考えた結果、
「じゃあ、今日はファミレスに行こうか」
なんて回答を導き出す。

あくまでひとつの例だが、
こんな考え事や選択は日常にありふれている。

ありふれている…
アリフレテイル……
アリストテレス………

なんのはなしですか

閑話休題

先ほどの ありふれた日常の選択、
実はよく考えてみると

「自分で作る気はないしなぁー…」
→ ①自分が作るかどうか
「かといって妻も作る気はなさそうだ」
→ ②妻が作るかどうか
 (①②によって外食するかどうか)

「そんなに遠出もしたくないし…」
→ ③距離感
「めちゃめちゃお腹が空いてるわけじゃない」
→ ④自分の空腹度
「イタリアンなんて気分じゃないし…」
→ ⑤そのときの気分
「興味があるあの店は、昼間は混むんだよねぇー」
→ ⑥店の混み具合
「近所のラーメン屋は先週行ったばかりだしなぁ…」
→ ⑦ここ最近の流れ

出典:昼食を考える私の頭の中

と、7つの要素で回答を導き出したことになる。

仮にこれが①②の要素だけだったら
「2人とも作る気はないけど、どうしようねぇ…」
となり、一向に回答は定まらない。

つまり、私と妻の今日のお昼ごはんは、
「7次元」だったということだ。

もちろん、これはあくまで例。
実際は複数のファミレスから選ぶ判断も
別の要素が含まれるだろうし、
次元は実のところ さらに高次であるはずだ。

まとめ

どうだろう、
意外に「多次元」は
身近にあると思わないだろうか。

「だから何?」と言われたら、
それまでの話なのだけれども。

…うん、見事に着地に失敗した。

思い付きで筆…
もといタイピングを走らせたものの、
どう締めるかを全く考えていなかった。

多次元解釈についての提起が目的だったから、
本文を書いたことで その目的は果たせたので
これで良しとしよう(… 思考停止 …)。

今回の試技、着地失敗で大幅減点となりました。
次の試技に期待しましょう。

お読みいただき、ありがとうございました。

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Naseka@令和の哲学者
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