「自閉症の息子に寄り添い、居場所を探し求めてきた小学校生活」〜保護者インタビュー〜
自由登校を見守る会「カスミソウ」の会員である保護者へのインタビュー企画です。今回協力していただいたのは、小6の息子さんがいるTさん。幼少期から発達障害の特性が見られ、小学校では支援級に入学。担任の先生の不適切な対応をきっかけに不登校が始まったと言います。お子さんの特性や家庭で工夫してきたポイント、現在の状況についてお話を伺いました。
幼稚園の頃から多動や他害があった息子。専門家と相談して小学校は支援級へ
北区にお住まいのTさん。息子さんが幼稚園に入って多動や他害があり困っていたそう。それでも、早い段階で医療と繋がり、専門家のサポートを受けながら育児をしてきたと言います。
ーーー発達障害などの特性があると、親として悩むこともあったのでは?
Tさん「公立の幼稚園で、発達障害の子は割と多く加配の先生もいたし、発達障害の子を持つ親同士で話せる場を作っているママ友もいました。人に恵まれ、お陰で孤立せずに済んだと思ってます」
ーーー小学校を支援級に決めた経緯を教えてください。
Tさん「就学相談で支援級と判定が出て、幼稚園の先生やかかりつけの発達クリニックの先生に相談したら、支援級が良いとアドバイスをいただきました。集団生活への苦手さがあり、一斉指示が通りにくいこと。他害がありトラブルが想定されることがその理由です。私も当時はその通りだなと思いました」
馴染めなかった支援級。普通級の子からの差別も・・・
ーーー入学した支援級には馴染めたんでしょうか?
Tさん「登校しぶりは最初からありました。鉛筆をガリガリにかじっていたし、脱走することも多くて。学校から付き添いや送り迎えをしてほしいと言われ、『ヤダヤダ』と泣くのをなだめて、抱えて登校していました」
ーーー何が嫌だったとか話してくれました?
Tさん「『支援級にいると普通級の子からバカにされる』と言っていました」
学校の中には、支援級の子が普通級の子からバカにされる空気感があったとTさん。それに加えて支援級には理科や社会がなく、授業がつまらないと感じることもあったようです。
Tさん「知的好奇心の強い子なので理科や社会も学びたいと言うんです。それで交流級を担任の先生にお願いしたのですが、『できるわけがない』と一蹴されてしまいました」
担任の先生の不適切な言動。弁護士にも相談してクラスを変更
嫌々ながらTさんのサポートを受けて何とか登校していた息子くん。担任の先生の不適切な言動がきっかけで学校へ全く行けなくなってしまったと言います。
Tさん「息子は自閉症で味覚過敏があり果物を一切食べることができません。給食でパイナップルを出された時も、『食べられません』と担任の先生に伝えたのに『食べなさい』と言われて、先生が怖くて無理をして食べたと言います。息子が嘔吐したら、下級生に『汚いね』と同意を求めたのだそうです」
夏休みが終わる8月31日に息子くんが泣いて、この出来事を話してくれたそう。「もう学校へは行きたくない」と言い、Tさんも「行かなくていい」と伝えたと言います。
9月1日からは学校を休ませたYさん。法務局の「子ども人権SOS」Eメールから弁護士に相談すると、障害者差別解消法の改正により、発達障害がある子どもへの合理的配慮は学校で義務化されているとのこと。味覚過敏の診断書を学校に提出すると良いとアドバイスをもらったそう。校長先生、副校長先生、主任の先生と面談する場を設けてもらったと言います。
保健室登校や別室登校も選択肢にあったものの、支援級だったこともあり、柔軟に担任の先生を変更してくれたので、様子を見ることにしたそうです。
交流級を経て普通級に転籍。保健室登校を経てフリースクールへ
ーーー担任の先生が変わったら学校は登校できたのでしょうか?
Tさん「学校は行けるようになりましたが、本人はバカにされるのが嫌で普通級に行きたいと。交流級に通わせていただき、その後、教育委員会ともやり取りして普通級に転籍しました」
ーーー普通級はどうでした?
Tさん「学習障害も多動もある息子は付いていくのが大変そうでした。興味がなかったり、わからない授業だとシャットダウンして寝てしまうことがありました。担任の先生は学習障害がある息子の特性を理解せず付きっ切りで指示していたのですが、それでも本人のやる気が出ないことは多々ありました。そうしたら、ある日、怒った先生に廊下に連れ出され叱られたと言います」
息子さんはその時に「頭を叩かれた。ストレスをぶつけられている感じがした」と言ったそう。Tさんが担任の先生にすぐ確認をしたところ、「やっていませんよ」と吐き捨てるように否定したと言います。
叩いたかどうかの真偽はわからないままですが、息子さん自身は「子ども人権SOS」にEメールをしました。次の日から息子さんもTさんも下痢が続き、息子さんは「もう学校に行きたくない」と言い出したといいます。Tさんも無理をさせなくていいと思ったとのこと。
その日にあった面談では、担任の先生が「支援級に戻った方がいい。他の子に迷惑をかける」と強く勧めてきたと言います。本来、校内委員会での討議を経て決定するはずの内容を口頭で勧めてくることにTさんは違和感があったそう。Tさんとしては疑問や反論もありましたが、子どもの不利益にならないか不安で、何も言い返せなかったと言います。
その後は保健室登校に。保健室の養護の先生は発達に理解があり、関わってくださる中で息子さんも落着きを取り戻す様子が見られたそう。ただ、数か月で養護の先生が異動してしまうと、また登校できなくなってしまったと言います。
不登校の息子のありのままを認めて。母のマインドチェンジのきっかけとは
ーーー学校へ行かなくなってどうでした?
Tさん「完全に不登校になって暇な時間が増えると、どうしてもタブレットやゲームの時間が長くなってしまいました。私はそれを制限するのに躍起になってしまって、一気に親子関係が悪化しました」
このままではまずいと民間の塾でTさんがペアレントトレーニングを受け、息子さんにはアンガーマネジメントを学んでもらったと言います。
Tさん「トレーニングを経て、(息子さんへのコントロールを)手放すことができるようになりました。塾や習い事、行く行かないは彼が決めること。虫眼鏡で見ればダメ出ししたくなるけど、長い目で見れば成長したんだなと感じます」
今は息子さんはフリースクールに通い、小学校のスクールカウンセラーの月1回の面談にTさんが通っているといいます。
ーーーどんな時に息子さんの成長を感じますか?
Tさん「平日昼間、祖父母の家で過ごすこともあるのですが、庭いじりをしたり祖父母とお昼を食べて穏やかに過ごせるようになったのを見ると成長を感じます。以前は多動で物を壊したり、散らかすので、私が付きっ切りで見ている必要がありましたから」
Tさんは以前のことを思い出すと、無理して学校に行かせることもなかったと感じると言います。
「子どもが嫌だって言っても大したことない、学校に行けると思っていました。今思うと子どもをなめていたんだと思います。それに学校は行くところだって」とTさん。
今は不安やイライラを感じる日もあるけど、時には息子を叔父に預けて映画に行ってもらってリフレッシュすることもあるといいます。たまに自身が好きなプロレス観戦で気分転換することもあるそう。
息子の将来に不安がないと言えばウソになるけど、きっと引きこもりや犯罪者にはならないだろうと心のどこかで信じていると語るTさん。試行錯誤しながら息子さんと全力で向き合ってきた姿に感銘を覚えました。
文:hiromin(北区メンバー)
取材:二村、福田
イラスト:ミナコーラ