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追悼


レイルウェイ・ライター種村直樹氏。


ネット検索をしていたところ
種村氏の名前が現れ、クリックしたら
亡くなられて今日で10年…。

となると、話題はこれだ。

私がまだ中学生から高校生の頃
愛読していた『旅と鉄道』
今は手元に数冊しかないのだが。


読者から寄せられた旅(主に列車)の疑問を
こういう形で答えて下さっていた。


私は列車の記事を読むのがメインだったので
正直このページはあまり目を通していなかったが
読者との距離は近かったと思う。
その後
バス旅や国鉄最長片道きっぷの旅の記事を
出されていた。

とりわけ印象に残ったのが
名古屋から白川郷を経由して
金沢を結んでいた「名金急行線」のルポ
(但しこの記事はJTBが発行していた『旅』に掲載)。



思えば、「汽車旅」が花盛りだった昭和時代。
私はまだ全国をまわったわけではないが
東京から九州
そして東京と大阪から札幌を結ぶ名列車群に
乗れたのは幸せなこと。

それらのきっかけは
種村氏が書かれた記事に依るところが大きかった。
その思いをもって種村氏への追悼としたい。

併せて、最初に紹介した
『旅と鉄道』1978年夏の号の内容を
一部お見せする。

特急おおぞらの車内。石勝線が未開通で、滝川経由で走っていた。 


在りし日の青函連絡船。


東北新幹線開業前の上野駅。特急ひばりは上野ー仙台を往来、特急はつかりが青森まで駆け抜けた。


鹿児島本線を走った特急有明の車内。食堂車も存在した。西鹿児島駅は現在の鹿児島中央駅。


                 もえぎ

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