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広島で平和を考える

SHOWです。今回は予告どおり、戦争と平和について語りたいと思います。

昔、広島旅行をして宮島や呉、そして平和公園を見てきたことがあります。宮島は鹿さんが怖かったとか、牡蠣ご飯定食がおいしかったとか、旅行記のネタは今でも思い出せますが、それはまた別の機会にしましょう。

平和公園は千羽鶴を収める原爆の子の像や、毎年記念式典が開かれる記念碑などが有名です。そして、資料館に行くと日本国内に限らず海外からきた見学者の人たちが多くいました。
高熱で焼けただれ、泡だったレンガや、焦げた弁当、残された指の一部、放射線で焼き付いた影、展示物を見てとても生々しさを感じました。原爆が投下された真下にあった島病院は、さく裂した瞬間、3000℃以上にもなったそうです。資料の中には数分程度にまとめられた被爆者の方たちの証言映像もありました。被爆したのは日本人ばかりではなく、たまたま広島市内にいた外国籍の人たちもいたのです。中学生時代、歴史の先生が「資料館を見学するなら、見た後では食欲がわかなくなるから見学前に食事をしたほうがいい」と言われたそうな。原爆の惨状は、目を覆いたくなるようなものでした。
広島に住んでいる友人が一時期英語で平和記念公園のボランティアガイドをしていて、彼女から日英のガイドブックを分けてもらいました。原爆で焼け残ったアオギリの木や、原爆の惨さを詩にし続けた詩人の歌碑、韓国人原爆犠牲者慰霊碑など、ガイドブックで初めて知る原爆遺稿がたくさんありました。

最近はウクライナとロシアの間で戦争が続き、終わる気配を見せません。どこぞの国では衛星などと称して核兵器を開発しようとしています。世界を見回すと不穏な空気に満ちていて、憂鬱になります。それにこの夏は、映画をネタに、原爆を茶化した表現が取りざたされて、核兵器というものの認識に国同士で隔たりがあることが大きな話題になっています。

ユネスコ憲章にはこう書いてあります。
「 この憲章の当事国政府は、その国民に代って次のとおり宣言する。
 戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。
 相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。」

自分の国にとって脅威となる国に不信を抱き、武力を持つことで圧力をかけようとすれば、もうそこで戦争は始まっているのです。また、大きな武力を持たない国が武力を持ちたいと願うのを、すでに武力をもっている国が一方的に反対したり阻止するのも、理屈に合わない話です。すでに武力を持っている国が武器を捨てなければ戦争の火種は消えないでしょう。現実的に、武装放棄は可能でしょうか?私自身を含め、人々に、その覚悟はあるのでしょうか?

2023年の広島平和宣言です。
「核による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえるならば、世界中の指導者は、核抑止論は破綻しているということを直視し、私たちを厳しい現実から理想へと導くための具体的な取組を早急に始める必要があるのではないでしょうか。市民社会においては、一人一人が、被爆者の「こんな思いは他の誰にもさせてはならない」というメッセージに込められた人類愛や寛容の精神を共有するとともに、個人の尊厳や安全が損なわれない平和な世界の実現に向け、為政者に核抑止論から脱却を促すことがますます重要になっています。」

広島の平和公園は、原爆の恐ろしさを伝えるだけのものではないと思います。慰霊碑に刻まれた「過ちは繰り返しませぬから」とは、「この世界で二度と戦争を起こさない」という誓いなのでは、と私は感じています。ただ平和を唱えるだけでは戦争は防げない、どんな行動をとれば戦争を防ぎ、終わらせることができるのか、考えているところです。これを読んだあなたも、平和とは何か、平和のために何ができるか、まずは言葉にしてみませんか?

参考文献:HIPの平和公園ガイド (2005年出版:Hiroshima Interpreters for Peace)
くわしく学ぶ世界遺産300 (2021年出版 世界遺産アカデミー)

平和宣言【令和5年(2023年)】 - 広島市公式ホームページ|国際平和文化都市 (hiroshima.lg.jp)

国際連合教育科学文化機関憲章(ユネスコ憲章)/The Constitution of UNESCO:文部科学省 (mext.go.jp)

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