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緩ませ、ほぐして、はがしてゆく



先日、夫のサトシくんと大喧嘩をして家を飛び出しました。


その日は糸井家梅もぎの日。

庭にある梅の木が予想以上にたくさんの実をつけてくれて、とても満たされた1日。
自然の恵みに感謝の気持ち、梅の木があるおかげで家族みんなで梅の収穫を楽しむことができる幸せ、その梅を梅干しにしたりシロップにすると1年中余韻を楽しめる幸せ。

そんな気分をみんなで共有できたら、もっと楽しいんじゃないかなぁって思ったんです。それでインスタのストーリーズで呼びかけるメッセージを投稿したら…

「白鳥麗子みたいでなんか鼻につくんよね」
と言われて、感情ベースで傷ついたし悲しかった。
(白鳥麗子…なんか時代を感じます。。)
だって、サトシくんにはいちばんの理解者でいてほしいじゃないですか。

腹が立って、とりあえずトイレ掃除して、シャワーを浴びている時、ごめんと謝ってきたサトシくんにシャワーをお見舞いし、脱衣所が濡れたことで、今度はサトシくんがキレました。
その結果引っ込みがつかなくなって家出に至ったのですが、
その間、車の鍵が見つからなかったり、5か月の息子とわっちがうんちしてたり、何回も「家出をやめる」きっかけがあったけど、私の頭の中のお客さまは頑固であまのじゃくでかわいくないのです。

感情に振り回された結果、サトシくんを傷付け、ことっちにも不安な思いをさせ、自分に嘘をついてしまった。

でも、冷静になってみて、もしかして上から目線だったかもしれないって反省しました。
サトシくんの主観をいちいち間に受けて怒る必要もないよね、と客観的にもなれて、
白鳥麗子は白鳥麗子だしね、と思えたのです。

そして、サトシくんはわたしの感情をいつも受け止めてくれるはず!という自意識過剰な自分や、
指摘されたことに向き合えなかった自分、
よく思われたいと思っていた自分がいたことに気付きました。

こんな私だけど、「帰ってきてくれてありがとう」と待っててくれたサトシくん。
いつも優しさに甘えてごめん。
それは当たり前じゃないんだと気付いた瞬間、ふっと肩の力が抜けたのです。

物事を客観的に見つめることって難しい。
でも、ちょっと視点を変えるだけで
自分の感情へのこだわりがなくなっていく
不思議体験。
客観的になることは、主観的じゃなくなること。
それは今までの固定観念を緩ませ、ほぐして、
はがしてゆく作業なのかなぁ〜。
いつか羽が生えたかと思うくらいに軽くなってみたいものです。

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