見出し画像

子育てをやめたいと思ったことはありますか?


ー私はある。
そう思いながら私は白玉粉をこねていた。なぜ白玉粉か。
息子からフルーツ白玉が食べたいとリクエストがあったのだ。
「今日もお寺の紫陽花が綺麗だったな」
そう呟きながら白玉粉をこねる。
手にくっついて上手くまとまらない。そもそも白玉なんて作ったことがないのだ。

「紫陽花には色んな色がある」
そんなことを知ったのも、いつしか紫陽花が一番好きな花になったのも。
息子が6月に生まれたからだった。
そう、今日は息子の誕生日なのだ。

ー12年。その年月はとても重く感じ、白玉をこねる手にも思わず力が入る。
みんな育児期間はあっという間だというけれど私は果てしなく長かったとしか思えない。

私の息子には重度の知的障害と自閉症という特性がある。
私はそんな息子を1人で育ててきた。
山あり谷ありというか、常に険しい山道とジェットコースターのような危なっかしい育児だったように思う。
そしてそれは今も現在進行形だ。

「耳たぶくらいの硬さ」
説明書を読みながら白玉の最終段階に入る。
沸騰したお湯の中にクルクルと丸めた白玉を静かに沈める。
するとそれらはぷう〜っと息をするように水面に浮かび上がってきた。
そっと掬い上げると綺麗なまん丸とは言いがたい白玉団子が出来上がった。
買ってきたフルーツの缶詰を開ける。
それらと出来上がった白玉をバランスよく盛り付け、上からオレンジジュースを注ぐ。
調べたレシピではリンゴジュースだったのだけれど、近くの薬局にはオレンジジュースしかなく、今回は綺麗なオレンジ色のフルーツ白玉が完成した。

息子が喜ぶだろうか。
息子の帰宅に向け、冷蔵庫にフルーツ白玉がスタンバイした。

手を洗いながら視線を上げると息子が遊んだ積み木や絵本、リモコンが転がっている。
それらは一見無秩序のように見えて、ちゃんと息子の中では計算されて置かれている。

「自閉症」と息子が診断されたとき、なぜシングルマザーの私のもとに障害児がやってきたんだろうと神様を恨んだ。
でもあの日の帰り道、もうとっくの昔に息子はそれを受け入れているような目をしていた。
それは決して悲しいとかじゃなく。

そして12歳という年齢まで無事育った息子に対して、今はあっぱれというか本当に偉かったなという尊敬の気持ちが溢れてくる。

息子自身も自分の特性で苦しんでいる姿を私はたくさん見てきた。

美容院で髪の毛を切るのを嫌がり、8年かかってようやく1人で椅子に座れるようになったこと。
部屋の模様替えをしただけで大パニックになり、4時間機嫌が直らなかったこと。
同じ道しか通ってくれず、毎日全ての排水溝を確認しながら1時間かけて一緒に保育園に通ったこと。
サイズアウトしようが穴が空こうが3年間同じアンパンマンの靴下を履き続けたこと。
梅雨時期が苦手で6月になると大荒れで窓ガラスを割ってしまうこと。

挙げればキリがない息子の生きづらさは母である私の育てづらさに直結し、心も身体も大いに痛めた。打撲だらけの人生だ。

「育てづらい」
そのことを受け止めるのに何年かかっただろう。
自分の努力次第で息子が変わるのではないか。
普通の子になるのではないか。
そんな期待はどれだけへし折られてきただろう。

「この子の母親を辞めたい」
癇癪で荒れ狂う息子を前に、悩み事で眠れない長い暗い夜に何度思ってきただろう。

それでも私が母親をやってこれた原動力は悔しいけれど、他人の慰めの言葉でもなければ、自分の意思の強さでもなかった。

息子が笑うとその場に陽が差したような温かみが生じる。
まるで大きな一輪の花が開くようなその笑顔に私はいつもハッとさせられてきた。
自分の育児に自信がないときも、心が澱んでしまう夕暮れ時も、その笑顔を見るとなんとも言えない愛しさが込み上げる。

そう。私をここまで走らせてきてくれたのは他の誰でもない。
息子だ。
息子なのだ。
息子以外にいないのだ。

「フルーツ白玉できた!」
そう叫びながら息子が冷蔵庫を勢いよく開けた。
真顔である。
真剣そのもので念願の白玉をスプーンで掬って口に運ぶ。
「美味しい?」という私の声は息子の1人喋りにかき消され、届かない。
ーこんなものだ。
息子のいつもの調子に合わせながら、私も自分用のフルーツ白玉をいただく。
意外と美味しくできていて、顔がほころぶ。

「美味しかった」
息子がカチャンと器を置いた。
「ありがとう。大好き」
そのとき。
また息子の周りに陽が差した。

いいなと思ったら応援しよう!