#2_なぜ博士号を目指すのか?

自分は、博士号取得を目指すD1の男です。

今日は、なぜ博士号を取得したいのかということについて自分の頭の中にあることを文字起こししたいと思います。

書きなぐりのようなかたちですので、よみにくいかと思います。

大きな理由はこちらです。

社会に新たな価値・インパクトを残せる人間になりたい。

このような書き方だと、修士や学士の人間が何もできないように聞こえてしまい、とても失礼な書き方だと思います。

ただ、素直に書くとこういうことになります。

新たなことを起こすためには、既存のものと既存のものを組み合わせる境界領域に新たな価値が生まれるという話を聞いたことがあります。

こう考えたときに新しいものを生み出すには、既存のものに精通している人間にならなくてはいけないですよね。

自分にとって、修士まで行ったときに既存のものに精通している人間になっているとは思えませんでした。

自分の周りおよび自分を含めた修士像は、指導教員から命令を受け、ある程度の実験技術や専門知識については身についており、あらたな実験を既知の文献から組み立てたり、これまでの実験手順を少しアップデートすることができるレベルです。

果たして、これがその領域に精通した人間といえるのでしょうか?

自分が思う専門領域に精通した人間とは、自分の中で何をすべきかを計画立て、その目的を達成するために必要な情報を自分自身で探し出し、既知の例がないことにも果敢に挑戦する気概をもって進めていく人間だと思います。

誰かに言われるまで何もしないだとか、自分にはどうせ出来ないから誰かが成功した例を模倣して効率よくやろうとか。

そういう人間が新たな技術・分野の組み合わせから新たな価値を生み出せるのかというと甚だ疑問です。

自己啓発書によく書いてあるような自分軸で生き、他人軸で生きるなという部分と似ていますね。
(自己啓発書というと、怪しいどこの馬の骨だかわからない、なんちゃってビジネスパーソンが書いたり・読むものというイメージが付きやすいですが、良いものもあります。じぶんの眼が大事です。)

じゃあ、博士課程だったらそれができるの?という話ですが、博士課程だからできるという話ではありません。

博士課程はあくまでそれを行うために十分な設備・環境・時間的余裕?(雑務が降ってくることも多々あり)が存在するというだけです。

企業の研究者として働いたことがないので、なんとも言えませんが、企業の場合ですと利益に直結する部分が重視されるという意味で、制限される部分もあるかもしれません。

結局は、自分で気づきそのメリットを生かして主体的に突き進んでいかなくてはいけないなと感じています。

色々な実験や論文を読む中で、こんな課題にこの技術とこの技術を組み合わせてこういった事ができるようになれば、克服できるのでは?

じゃあ、この技術とこの技術は手元で学べそうだから挑戦してみるか!みたいな。

自分の専門+αを学ぶ気持ちくらいで博士課程を過ごしてみると、インダストリーに行くにしろアカデミアに行くにしろ、新たな価値を創出する人間に一歩近づくのではないでしょうか?





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