大学院で就活留年した話①
私は大学院で就活のために1年留年し、就活を2回行った。つまり、私は修士課程に3年在籍したのである(笑)。オーバーマスター。学部生で就活留年したみたいな話は何度か見たが、大学院で就活留年するというのはなかなか稀有だと思う。今回は「1回目の就活から就活留年を選択するまで」を振り返っていきたいと思う。(めちゃくちゃ長文になると思います)
特に放置系の研究室で研究職を目指して就活をする方には、私の二の舞にならないように見てほしいです。ちなみに学歴は地方旧帝の生物系です。
1回目の就活
・修士1年4月~9月
就活を始めたのは修士1年の4月だった。就活で大企業に行きたいという思いがあったので早めに取り掛かった。部活の先輩の誘いもあり、ある就活団体に入り、そこで当時修士2年だった同大学院の先輩がメンターとしてついてもらい就活を進めた。右も左も分からない状況で、とりあえずガクチカを書き、なんとなくベンチャーのGDに参加した(地蔵でした)。そして6月には多くの企業のインターンの締め切りがあるので、ひたすらESを書いてWEBテを解いてメーカーを中心に20社くらい提出した。結果は惨敗。ほとんど通らなかったと思う。振り返るとESの文章も研究概要書も酷かった。とりあえずインターンに参加してみたいと思い、8月に中堅の化学メーカーの選考に応募して参加した。
・修士1年10月~12月
10月には就活団体主催の研究のポスター発表があった。当時第一希望だった企業も参加するということで非常に力を入れた。就活団体から「ここで評価されれば内定直結になるかもしれない」と言われ、私は真に受けて熱量だけは大きかった(そんな上手い話あるわけありません)。メンターや就活団体の博士の人にも添削を受けながらポスターを作成した。完成したポスターはメンターや就活団体の博士の人からはめちゃくちゃ褒められたが、振り返るとめちゃくちゃ酷い出来だった。アドバイスもだいぶいい加減だったし、「他人のアドバイスって本当に無責任だな」とつくづく思う(時間を使っていただいたことには感謝しています)。当日のポスター発表はなんとなくおしゃべりするだけで正直「やる意味あるか、、」と思った。それから12月までは就活の熱はあるが、なにをやるべきかよく分からずただ説明会に参加する日々が続いた。当時ラボの人間関係で少し病んでいたのでその影響も少なからずあったかもしれない。努力の矛先というか、力の入れ方が良くなかった。
・修士1年1月~2月
そして夏インターンからESや研究概要がほとんど改善されないまま、1月に入り、本選考が始まった。化学・製薬メーカーの研究職を中心にESを提出し、2月に初めての面接を受けることになった。自身の研究をパワポでまとめて、10分以内で発表し、その後質疑といった流れである。パワポを使用した研究発表は卒研ぶり(つまり1年ぶり)で、ポスター発表の際に作った図などを使って作成した。スライドの出来は消しカスレベルだったが、当時の自分には危機感がなかった。
そして当日、Teamsに繋いで、2名の面接官との面接が始まった。10分以内の研究発表を終え、質疑応答に入った。あまり覚えていないが、ほぼまともに答えられなかったと思う。当たり前のごとく面接には落ち、ひどく落ち込んだことを覚えている。
・修士1,2年3月~5月
それから上手く軌道修正できないまま、3月中旬まで来た。3月中旬ごろに部活の同期が研究職の内定をもらったとのことで、研究概要などを見てもらった。そうすると「この図がなにを指しているのか分からない」など色々親身に指摘をくれた。そしてメーカーに行ったラボの先輩と連絡を取る機会があり、当時の研究概要を見させてもらった。同期と先輩のおかけで、少し霧を抜けた感触があった(2人には本当に感謝している)。普通は研究室で受けるような指導を何一つ受けず、なにも分かっていないことに気づいた。
とはいっても、3月末。就活の早期化もありメーカー就活も佳境を超えていた。二次締切といった穴埋めのフェーズである。それからも諦めることなくエントリーし続けた。5月あたりにはメンタルもだいぶやられ、血便も出ていた。朝起きるのもだいぶ苦しく、志望度が低かったせいもあるが1度面接に遅刻したこともあった。ただ全く動けなくなるという状態ではなかったので選考を受け続けた。そしてある中堅の製薬企業の選考に通り対面での最終面接に呼ばれた。内定ゼロで持ち駒もそんなにない状況、普通なら力を入れるべきなのだが、この辺りから私は「留年してもう一回就活した方がいいのではないか」と思い始めた。生意気なことを言うが、もし内定をもらえたとしても全然行きたいと思わなかった。案の定、面接の逆質問でHPに書いてあることを聞いてしまい面接官の表情が一気に険悪になり落選した。
・修士2年6月~7月
この時期には留年を視野に入れていたが、一部選考が残っていた。某製薬企業の再募集があり対面での面接を受けることになった。またとない機会、全力で臨もうと思った。プレゼン資料を準備し、面接対策も万全にした。前日にホテル入りしたのだが、面接前夜に発熱した。体温計はなかったが確実に熱があった。朝一で薬局にてカロナールを買い、なんとか持ちこたえてそうだったので予定通り面接を受けることにした。当日の面接では、年配の研究者が5人程度おり、かなり圧迫感があった。プレゼン発表を終え、質問タイムに入ると、鋭い指摘が何個も来た。今でも覚えているのは、「考察に書いていることをもう一度分かりやすく説明してほしい」と言われたが上手く説明できなかったことや、このテーマが従来の常識では難しいことをやろうとしていたらしくそれに面接官が納得できていないといった感じだ。自分はこの面接でこのテーマが従来では難しいとされている研究だということを初めて知った。研究室で一度もこの点について言われたことはなかった。教授は「このテーマは凄いんだ」とばかり言っていた。まあ惨敗だったのである。面接を終え、帰宅途中には体調が悪化し、自宅に戻ってから検査したところ新型コロナウイルス陽性であった。お祈りメールが届いた。そして留年することに決めた。
「就活留年」の経緯
冒頭でも書いたが、私は新卒就活にだいぶ力を入れていた。転職の時代というが、特にメーカーならそんな簡単に転職できるとも思っていなかったし、新卒は大手に入りたかった。そして研究開発職に行きたいという思いが強くあった。1回目の就活では進め方が良くなかったり、研究について深められていなかったことに後悔があり再度挑戦したい思いがあった。この劣悪なラボに長居することにメリットがないと思ったので、博士進学は考えなかった。
ただ、
・留年による就活のハンデ
・同期と比べ一年遅れる
・モチベーションの維持が大変
・学費が無駄にかかる
↑このようなデメリットもある。が、自分は固執してしまい諦め切れなかった。理系職に就く自分以外想像できなかった。ただ留年のハンデがどの程度か不安があったので、大学のキャリアセンターや就活塾の無料相談、ネットで就活留年した人の体験談を見たりして情報収集した。その結果、致命的なハンデにはならないことが分かった。そして留年する旨を研究室に伝え、2回目の夏インターンに応募する日々が始まったのである。(続きは後日書きたいと思います)
就活が上手くいかなかった要因
①自分の就活のロールモデルとなる人を見つけられなかった
②志望業界が同じ就活生や先輩ともっと話せばよかった
③面接を受ける時期が遅く、面接対策が遅れた
④誤ったアドバイスを真に受けた
⑤研究室要因(研究テーマの支離滅裂さ、研究指導がない) ←最重要
⑥バイオ系の研究職の定員が少ない
振り返ってみてこんな感じかと思う。
①~③は業界問わず全ての就活生に当てはまることだと思うので気を付けていただきたい。研究職志望なら同じラボで就活した先輩がいれば、その先輩を頼るのが一番いいと思う。他の業界に比べて、研究職就活の情報ってあまり出回ってないと思う。当時、いろいろとリサーチしていたが、今思うと間違っている情報も多かった。
④については、研究概要書を書く際に「専門用語を入れない方がいい」と就活団体のメンターに何度も言われたことである。研究における大事なキーワードも別の用語に書き換えさせられた。就活全般に言えることだが、テストのように答えは決まっていないので、ある人にはいいアドバイスでもある人には不適切な場合がある。アドバイスをくれた人は大手メーカーの内定者だからと信頼してしまったが、他の人の意見も聞いてみるべきであった。情報の取捨選択は大事である。
⑤について、研究職を志望する人なら就活が成功するかどうかはかなり研究室に影響されるのではないか。というか一番重要。もちろん個人のスキル(コミュニケーション能力、英語、どんな環境でもやっていける要領の良さ)もあるが、研究初心者の学生が適切な指導がない状況で十分に能力を身につけるのはかなり難しいと思う。なので、正直私みたいな研究室で支離滅裂なテーマをもらったなら、専門性を活かした就職はさっさと諦め、別の道を探したほうが安牌に人生を進めることができると思う。
⑥「バイオ系は職が少ない」と巷ではよく言われていますよね。就活を終えてみてよく分かります。例えば製薬企業ならその狭い枠を、理学部・工学部・薬学部・農学部・獣医学部の全国の学生が狙いに来るんですから。恐ろしい。
最後に
長くなってしまいました。。ある日、友人と話していて「よくそんな環境にいて研究職行きたいと思うよね」と言われましたが、確かにそうだなって。変にハードルを上げて自分の首を絞めていたなって振り返って思います。元々準備はしっかりするタイプなので、やると決めたことはある程度結果を出してきましたが、ここまで大敗したのは人生初めてでした。人生上手くいかないっすね。
途中からですます調になっているのはご愛嬌ということで
ではでは~