プロレス雑誌への投稿
大学時代、プロレスサークルやっていて、会報にインタビュー記事や評論を書いていたから、週刊ファイトや週刊プロレスとかにも投稿したりしてたなぁ。
週刊ファイトに最初に載ったのは、新人2年目の三沢光晴選手についての投稿だった。
ほぼ修正なしで掲載されていたが、和田京平レフェリーを京平と書いていたのを和田と訂正されていたなぁ。
週刊プロレスでは、そのまま掲載された。
会報に書いた記事では、全日本プロレスの砧合宿所で三沢光晴選手に2時間インタビューして、道場のリングに上げてもらった時の記事が、自分では1番だったかな。
あとは全日本女子プロレスの当時長与千種選手から全日本ジュニア王座を奪取した後の17歳の立野記代選手のインタビューと観戦記も良かった筈。
この日は大和車体工業体育館での試合で、その試合前にインタビューする事が出来たのだった。
この日は会場に全日本プロレスの冬木弘道選手と川田利明選手が試合を見に来ていて、会場内でジャンボ掘選手と話をしていたなぁ。
俺がプロレス団体に電話をかけて、取材申し込んでインタビューしたのは、この2人だけだった。
他にはザテレビジョンに立野記代選手の写真が載っていて、それを会報の立野記代特集号に載せたくて、角川書店に電話してネガポジ借りる交渉して、編集部を訪問してネガポジ借りたりしたなぁ。
試合結果の記録見るために全日本女子プロレスを訪問した時は、俺は行けなくて同期のkと後輩のSに行ってもらったのだが、ここでは書けない事を目撃していたw
昭和のプロレスの話だね。