石炭ストーブ
これは昭和40年代の話である。
俺が幼稚園や小学校低学年のときは、家のストーブも学校のストーブも石炭ストーブだった。薪では無く石炭である。
家のストーブは、小学3年生くらいには、石油ストーブになっていた。
小学校は、低学年の時はまだ木造の旧校舎だった。旧校舎と言うのは、小3か小4の時には、新校舎に移り、スチームの暖房になったから。
小学校低学年の時は、石炭ストーブであるから、もちろん燃やすには石炭を入れなくてはいけない。
だから、学校には石炭小屋があった。そこに日直が帰る前に翌日の使う分の石炭をバケツに入れて運んでいたのだ。
低学年にはバケツに入れた石炭は、重かった。みんなヒーヒー言いながら運んでいたなぁ。日直がやるから、全員がやつまでいたから、文句は誰も言わなかったけど。
石炭を燃やすから、灰も出る。これもバケツで焼却炉に運んで捨てていた。今と違い昔はゴミは、学校の焼却炉で燃やしていたのだ。
大気汚染とかの問題は、まだ社会的ではない頃で、公害は垂れ流しだった頃。東京湾にはヘドロ。そんな時代だった。
焼却炉は火を使うから、危ないので用務員さんが管理していたなぁ。
少し逸れるが、幼稚園の頃は、豆たんあんかを使っていた。
こんなのである。
小学校4年くらいには、電気毛布を使っていたけど。
小学生向けの雑誌には、郊外で1990年のには、みんな酸素マスクを付けて生活してる、という未来予想がされていたよなぁ。
ゴジラ対ヘドラも世相を反映した映画だったし。
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