アントンの商売

アントニオ猪木は、良いところに目を付けてはいたんだよな。
永久機関とかアントンハイセルとかのバカな事しないで、タバスコとかを堅実に売ってたら、そこでの収入はハンパ無かったからな。
俺が行ってた猪木関連の店や商品をあげる。

アントンリブ巣鴨店。
当時はまだスペアリブ自体が珍しかった。俺は大学生だったが、初めてリブを食べたから。昭和50年代の話。
巣鴨は当時からおばあちゃんの原宿だったかな?ただ刺抜き地蔵があるから、老人は多かった。
最初アントンリブの六本木店行きたかったが、六本木より巣鴨の方が近いから、とりあえず巣鴨店に行ってみたのだった。
スペアリブは、美味しかったけどなぁ。

アントンリブ六本木店
俺は後輩の鼻でかとここの店に行った。
目的は学祭の喫茶店でまてちゃを出すので、アントンマテ茶のティーバッグを買いに行ったのだ。
この時は金は学祭に注ぎ込んでいたから、スペアリブではなくコーラを飲んでいた。俺たちふたりは。
近くのテーブルで、高校生のグループが、スペアリブ食っていた。
大学生がコーラで高校生なスペアリブってw
ま、マテ茶を大量に買う為の金だから、スペアリブに使うわけには行かなかったのだ。

アントンマテ茶
ブラジルとかで飲まれてると言うマテ茶。俺はアントンマテ茶で、初めて口にしたよ。
そんなに美味いと言うわけでは無かったが、ノンシュガーで飲めて、ヘルシーだった。後に出たジャワティーみたいなもんだね。
後にトポスと言う安売りの店で、マテ茶を見つけて買ってみた。だが、めちゃくちゃ不味かったw
アントンマテ茶より全然不味かった。

ひまわりナッツ
アメリカでは今メジャーリーガーとかが、ベンチでひまわりの種を食ってる。
そんな感じのひまわりナッツ。ベビースターラーメンみたいな大きさの袋に入っていた。俺は売ってるところは、見たことがない。
だが、当時の新日本プロレスの会場で、このひまわりナッツを配っていた。試供品みたいなかんじで、である。
俺の口には合わなかった。そもそもひまわりの種を食べるってのが、信じられなかったから。

タバスコ
今では普通にあるタバスコ。
だが、昭和では無かった物のひとつである。
これを輸入してたのは、猪木のところだった。
これも小さな瓶の試供品を新日本プロレスの会場で、配っていた。
パスタではなく、まだみんなスパゲティと呼んでいた頃。ナポリタンにミートソース以外は、あまり見なかった。勿論イタリアンの店とか行けば、たくさん種類はあった。だが、今のパスタ専門店とかは、見かけなかったから。
喫茶店のナポリタンやミートソースが、主流だった。
うちの学食の軽食部では、ナポリタン、ミートソース、ハムスパってのを売っていたよ。
タバスコの権利は、アントンハイセルとかの負債を支払う為売却した筈。これを持ってたら、富豪になれたのにな。
学生時代は、タバスコがこんなにメジャーになるとは、思いもしなかったけどね。

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