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心に残る風景

いつか見た風景が、ずっと心に残ることがある。私の場合は、小学生の頃の歯医者の帰り道に見た商店街の夕暮れと、スイミングスクールで見上げた空である。

特別な場所でもなければ、特別な時間を過ごした訳でもない。いつもの慣れた、むしろ見飽きているような風景である。

通っていた歯医者は、商店街の一角にあった。親子二代の家族経営の歯医者だった。腕が良いかは分からないが、親が通っていたので私や妹も自然と通うようになっていた。

最初は、親が一緒に、親が忙しい時は祖母が連れて行ってくれていたが、小学校中学年になると、ひとりで通うようになった。大抵、学校での歯科検診に引っかかって通院するようになった。

その日、ひとりで歯医者に行き、治療してもらったのだろう。秋口に差しかかった寒くも暑くもない日。治療を終えて自転車に乗ろうとした時、ふと商店街が夕陽でオレンジ色に染まっているのに気がつく。見上げると輪郭のはっきりした沈みつつある太陽と、もうすぐそこに迫ってきている闇がせめぎ合っている。午後5時を知らせるふるさとチャイムが流れる。「カラスと一緒に帰りましょう」

なぜか、胸が締め付けられるような切なさでいっぱいになった。子どもながらに、今は永遠ではないということを感じ取ったのかもしれない。今、生きている日常はやがて終わること、自分が永遠と思っていることは全て一瞬でしかないことに、どこかで気がついたのかもしれない。
「早くお母さんに会いたい」と思ったことも覚えている。

私と妹は同じスイミングスクールに通っていた。確か日曜日の夕方に、自転車で通っていたと思う。地域の子どもたちが通う小さなスイミングスクールだった。

妹の方が運動神経が良く度胸もあったので、どんどん上のクラスに進んでいった。私は息継ぎのコツがうまく掴めず、ずっと初級クラスだった。

その時も、クロールの練習で水を飲んでしまい咳込み、プールサイドに上がり、しばらくひとりで休憩していた。プールの天井はガラス張りで、空がよく見えた。

何気なく見上げると、碧い空が飛び込んできた。天井のガラスに陽の光が反射して輝き、白い線になって水に差し込んでいた。
「この風景を、私はいつか思い出すだろう」と、その時、なぜか強く思った。

皆が上手に泳げている中、未だ息継ぎに苦戦している状況からの逃避だったのかもしれない。泳ぎを楽しめない自分への慰めだったのかもしれない。
ただ、その時に見上げた空は碧く、陽の光は輝いていて、どんな私でも祝福しているように感じられた。どこか遠くの未来からのエールのように感じたのかもしれない。シンプルに、ただ嬉しくなったことを覚えている。

あれから長い年月が過ぎ、多くの場所に行き、雄大な美しい風景をたくさん観てきた。そのひとつひとつに感動してきた。

しかし、今だに、ずっと心に残る風景は、歯医者帰りの商店街の夕焼けと、スイミングスクールで見上げた空、なのである。

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