さようなら。大好きな人。
今でもはっきりと覚えている。
高校の文化祭。彼はクラスの出店の受付と呼び込みをしていた。
優しくはにかんだ笑顔で声をかけてくれたっけ。
私が一年生の15歳。彼は2歳上の三年生だった。
私は大好きになっていった。
いつも穏やかで、優しくて。少し歳上で、頭も良くて、包容力もあって。何より、私の気持ちを聞いてくれる人。決して否定せずに、まず第一に私を優先してくれる人。
今までなかった、今までの人生でいなかった存在。
嬉しい、楽しい、心地良い…。
ふんわかと淡いベールに包まれているような。ほわほわの泡に沈み込んでいくような。なんだろう、この気持ち…。
2人で色んなところに出かけた。
お金がなかったから、お弁当を持っていったりしてどこかの公園とかが多かったけど。一日中、一緒にいたのに、離れがたくて、いつまでもベンチでおしゃべりしたっけ。
あんなに何を話してたんだろう。
彼はあまり話す方ではなかったから、私が喋ってたんだろうな。友達のこと、勉強のこと、そして家族のこと…。いつも「うん、うん」と聞いてくれたっけ。穏やかに優しい笑顔で。
もっともっと聞いてほしかった。
もっともっと私を好きになってほしかった。面白くおかしく話して、彼を笑わせて。ダイエットをしたり、髪型を変えたり、おしゃれにも目覚めたりして。
聞いてくれている、受け止めてくれている、受け入れてくれている。そのことが私はとても嬉しかった。とてつもなく嬉しかった。
生まれて初めて、自分の居場所を見つけられたような安心感に満たされていった。
ただ、時々、とても不安になった。
この人、本当に私のことが好きなのかな。我慢してるんじゃないかな。私の話なんて大して面白くないし。だいたい私なんてかわいくもないし。勉強だってできる方じゃない。性格もグチグチしていて明るくないし。私の嫌なところに気づいているんじゃないかな。今は良くても、いつか私のことを嫌いになるんじゃないかな。
どうしよう…。そうなったら…。
私の頭の中にぐるぐるとめぐるモノローグ。
不安と恐怖で占められていく気持ち。
だから、時々、私は別れ話を切り出した。あれこれと理由を見つけて。
「受験勉強に集中したい」「あの時のあの態度は傷ついた」「だから、もう一緒にはいられない」
優しく穏やかな彼は驚き、一生懸命に引き止める。「ごめん」「君がいないと耐えられない」「一生、一緒にいたい」「もっと大切にするから」「大好きなんだ」
彼の涙と必死の言葉。
私は安心を取り戻す。
ああ、よかった。まだ私を好きでいてくれている。私を1番に考えてくれている。私を必要としてくれている。まだ一緒にいてもいいんだ。私の居場所はあるんだ。ああ、よかった…。
私は18歳、彼は20歳になっていた。
女子大に進学した私は、なかなか周囲に溶け込めずにいた。当時の大学生は、サークル活動やらコンパやら青春真っ盛り、陽キャ最強の時代。もともと陰キャの私はノリについていけず、かと言って、ひとりでいることもできず、中途半端な立ち位置だった。高校時代の友達とも次第に疎遠になっていたし、家族とは相変わらず上手くいかないし、孤立感を深めていった。
ただ、どんな時もそばにいてくれたのは彼だった。相変わらず、私の話を「うん。うん。」と聞いてくれていた。彼といると満たされて、守られて、安心できた。
「まだこの世にいていいんだよ」「あなたの居場所はあるんだよ」
そんな風に囁いてくれている…。そう感じることができた。
嫌なこと、辛いことがあると、私はすぐに彼の元へと逃げ込んだ。周囲への孤立感、不平不満、イラついた感情、やるせなさや憤りといった負の感情も彼に全てぶつけた。
不安も怒りも、彼なら受け入れてくれる…。だって、私を丸ごと全部が好きって言ってくれているもの。一生、一緒にいたいって言ってくれているもの。絶対に離れることなんてない。
固く、固く、私は信じ込んでいた。
私は20歳になっていた。
社会人になった彼は、忙しく働いていた。仕事、同期、先輩たちや上司、取引先…。彼の今までの生活ではなかった付き合いがどんどん構築されていった。
「忙しいけど、楽しいよ」
そんなことも言っていた。
次第に、会社の飲み会も多くなり、デートの約束が延期になることも増えてきた。
「ごめん!またにしてくれる?」
「仕事だもん。仕方ないよね」
そんな風に、物分かりの良い彼女、を演じるのも悪くはなかった。ドタキャンも増えてきたけど、電話は毎日していたし、相変わらずの穏やかで優しい彼に変わりはなかった。
その日は、突然、きた。
いつもと変わらずに待ち合わせをして、いつもと変わらずにランチして、いつもと変わらずに公園のベンチで話している時だった。
「好きな人ができた」
え?え?好きな人?は?どゆこと?
ポカンとしている私に、彼はは少し距離をとりながらもう一度、伝えた。
「ごめん。好きな人ができた。もう終わりにしよう」
目を合わそうとせず下を向いて、だけど、やけにはっきりと伝えた。
「え…?なんで?」
「好きな人ができたんだ。君は君の好きな人と一緒になってほしい。今までありがとう」
それだけ言うと、あとは黙って下を向いたままだった。
その後のことは、今でもあまり思い出せない。
別れの衝撃、頭が真っ白になった感じ、その後に押し寄せた身を引き裂かれるような感情、深い海の中にいるような何も聞こえない感じられない離脱感、黒い虚無感、逃げきれない孤独…。
どうやって生きていたんだろう。
何を感じ、何を考えて生きていたのだろう。自分が自分でなくなるような、コントロール不能の車に乗って生きていたような感覚しか思い出せない。
あの頃の自分を、思い出せない。
ただ、今、私は生きている。
どうにかこうにか人生を歩んでいる。間違ったり、ずっこけたりしながら、生きている。泣いたり、笑ったり、喜んだり、怒ったり、ワクワクしたり、ふざけたりしながら、生きている。
あの頃の私が、居場所だと信じたもの。安全基地だと感じたもの。
ごめんね。
色んなもの背負わせちゃって。
深く傷つけて。
私はあなたを見てなかった。
あなたを通して自分だけを見ていたよね。
あなたに映る自分だけを。
それまでの人生でもらえなかった温かな何かを、ただ、ただ求めてやまなかった自分だけを。
明らかな欠落を、欠乏を抱えた自分だけを。
今なら、心から言える。
あなたもあなたの好きな人と一緒になってほしい。あなたを心から大切にしてくれる人と、かけがえのない人生を、祝福された人生を、歩んでいてほしい。溢れんばかりの愛情を惜しみなく与えてくれる人と、人生を築いていってほしい。
満たされること。
温かな安心感に包まれること。
それは誰かに、何かに求めることじゃない。
与えることで、与えれば与えるほどに湧いてくるものだよね。
内側から溢れてくるものだよね。
どうしようもなく溢れてくるものだよね。
あれからだいぶ経つけど、私も少しは成長できたでしょう?
さようなら。大好きだった人。
ありがとう。大好きだった人。
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