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ドン松子との攻防

 一人暮らしだった祖父は、70歳を過ぎてから犬を飼った。白地に茶色のブチ模様が入った雑種の雌犬だった。
 祖父は「ドン松子」と名づけた。恐らく、「ドン松五郎」という犬が主役の映画から取ったものと思われる。その映画のことはよく知らないが。

 足が悪かった祖父との散歩はゆっくり歩くだけだったので、ドン松子は相当、ストレスが溜まっていたのだろう。時々、隙を見て脱走した。
 大抵、2〜3日後に、近くまで戻ってきた。犬であっても、何となくバツが悪いのか、家の中までは入らず、近くをウロウロしており、祖父が捕まえるまで待っているような感じだった。捕まると、どこかホッとしたようにおとなしくしていた。

 私が祖父とドン松子との同居を始めたのは、大学生になってからだった。理由は、単に祖父の家が大学に近かったから、である。寡黙な祖父との同居を周りは心配したが、何となくウマが合い、まあまあ順調に過ごしていた。

 ドン松子の散歩は、私が受け持った。ドン松子はとんでもなく嬉しそうだった。毎回、私が家から出そうな気配を察して、すでに庭でスタンバイをしていた。スタートからダッシュで駆けるので、私も必死で走った。1時間くらい散歩すると、満足そうにして、家に帰るのも渋らなかった。次第に脱走もなくなっていった。

 ドン松子は、私の一挙手一投足を注意深く観察しているので、私が外出する気配を感じると、「わーい!散歩!散歩!」と歓喜のスタンバイを始める。
「違うよ。帰ってきたら散歩に行こうね」と言ったところで伝わるわけもなく、出かけていく私の後ろ姿を、いつも悲しそうな目をして、ずっと見送っていた。
 吠えて抗議してくれるなら、こちらも気が楽なのだが、悲しそうにずっと見送られるだけだと、何だか罪悪感に苛まされ、後ろ髪を引かれる思いで出ていかねばならなかった。

 それが苦しかったので、外出の際には、ドン松子に気がつかれないよう、こっそりと準備をして、抜き足差し足で移動し、そっとドアを開けて、そろりそろりと出て行くことにした。

 しかし、どんなに気をつけても、時々、勘づかれてしまう事もあった。急いで歓喜のスタンバイをした後のドン松子の落胆と、とても悲しげな目は、より一層、私の罪悪感を増幅させた。

「あーっ、もう、ドン松子ひとりで散歩に行ってくれたらなぁ」と何度、思ったことだろう。

 祖父は、私とドン松子の攻防など全く気がついていないようで、コソコソ出かける私の様子を不思議そうに見ていた。祖父はドン松子をとても可愛がっていたが、所詮は犬であり、気を遣う存在ではなかった。
 私も特に祖父には理由を言わなかったので、単に「謎の動きをする孫」としか思わなかっただろう。確かに、出かける時だけ忍者のような動きをしてする人がいたら、祖父でなくても不審に思うだろう。
 
 ドン松子との攻防は、それから6年ほど続いた。年老いたドン松子は、だんだんと気配に鈍感になり、体力もなくなっていった。散歩に行っても、あの時の祖父のようにゆっくりゆっくり歩くのがやっと、になっていった。庭で眠っていることが多くなった。それでも、私が側に行くと、嬉しそうに尻尾を振ってくれた。

「もっともっと散歩に行ってあげればよかった」

今でもドン松子のことを思い出す度に、チクリと心が痛んでいる。

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