マレーシア・クアラルンプールで食い倒れ妄想旅行⑥
バングラビートとフィッシュアンドチップス
このブリックフィールズ地区を歩けば、目をつぶっていてもバングラビートと南インド料理にぶつかる。この癖になる日本ではあまり馴染みのないバングラビートのリズムに乗せて南インドスイーツのパサヤムを食す。
ちなみにバングラビートのルーツは、インド西部パンジャーブ地方の収穫祭の音楽で、そのメインの収穫物は「バング」、つまり大麻である。祭りのさいに、大麻をガンガン焚いて超ハイでハッピーなリズムが生まれた、それが元型で、ついでに現代のイギリスでヒップホップやEDMなどと融合、新たな超ハイなリズムを生み出し、世界に拡散し増殖し続けている音楽だ。
ここで再びバングラビートを通してフィッシュアンドチップスの国イギリスとのつながりが見えた。ちなみにボク個人としては、インドが生んだ世界初のアシッドハウスCharanjit Singhがツボである。
話は変わるが、なぜマレーシアに南インド系が多いのか説明する。そもそもマレー半島とインドはその昔7世紀ごろには貿易を通して交流があった。しかし、今日のマレーシアのインド系は、マレーシアとインドの宗主国フィッシュアンドチップス(イギリス)の政策が関連している。
そもそもマレーシアという土地はジャングルが基本でそもそもの人口自体がすくない土地柄だった。そこにフィッシュアンドチップスがやって来て、いわゆる植民地経営を始める。
いくつかの産業の中で今後の自動車産業などで必ず伸びると踏んでいたゴムのプランテーションに目をつけたフィッシュアンドチップスであったが、そこで働く労働人口が圧倒的に不足、そこで同じ植民地支配をしていたインドで労働者の募集を行ったことから、マレーシアにインド人が大量に移民する事となった。
ではなぜ南インドの人たちだったのかというと、インドの中でも南部の一部は非常に熱帯地域の気候に近いということと、安価な労働力ということでインドカーストの下部に位置していた人々に目をつけたのだった。そしてマドラス州のタミル人(南部インド人)を大量にマレーシアに送り込んで、ゴム農園で従事させたことから今日のインドの系住民の歴史が始まる。
次回マレーシア・クアラルンプールで食い倒れ妄想旅行計画⑦に続くʅ(◞‿◟)ʃ
読んでくれた人へ
今後、定期的にシルクロード横断日記や行きたいけど行けないという悶々とした気持ちで書いた、脳内妄想旅行の計画などをアップする予定です。お暇なときにでも、そちらも読んでやってください。ありがとうございました。スキをしてくれると僕のテンションが上がります。ファローしてくれたらうれション状態です。よろしくお願いします。人生の無駄遣い万歳^_^
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