ギリ19歳が行く、インド一人旅🇮🇳【総集編】
人生で初めて、1人海外旅をした。それもインドで🇮🇳。海外は高校2年生の時に研修で行ったオーストラリアと今回、つまり人生で2回目の海外だった。勢いでチケットを取り、準備をした。夢も叶ったそんな2週間の旅をまとめました。
下にある【ギリ19歳が行く、インド一人旅🇮🇳①〜⑥】をタップするとより詳しく、エピソードてんこ盛りで見れます。1話から見てみようかなと思っている心優しい方へ、総集編を見ずにぜひ1話に飛んでください!ネタバレしちゃうかもしれませんので。
が、時間がない!そんな方に向けて総集編をサラッと書いてます!下にスクロールして、写真メインに楽しんでください!では!
第1弾 2/28(火)〜3/3(金)
日本出国からインド到着、ニューデリーを観光し、タージマハルへ行く。
(↓ここをタップして1話へ)
夜中の1時に着き、入国審査を済まし、急遽取ったホテルへ向かう。車でさえも驚きの連続だった。
朝起きて、そこから首都ニューデリーを観光した。1日で48000歩、28㎞歩いた。足が攣りそうだった。ニューデリー駅では、青いペンを持ったおじさんに絡まれ、悪質旅行会社に連れていかれそうになる。うっとうしいニューデリーにはもう行きたくない!
ローカルの激辛カレー店に行く。カレーは口に入れた瞬間はめちゃくちゃ美味しい、後味がとんでもなく辛い。思ってる300倍辛い。がんばって食べようとしたが、辛すぎて身体の震えが止まらない。胃がムカムカする。喉元まで例のやつが迫ってきた。半分くらいでギブアップした。
次の日、3時間かけてタージマハルがある街アグラに行った。駅からタージマハルまでオートリキシャ(トゥクトゥクのようなもの🛺)に乗った。この運転手がとんでも野郎だった。日本語を操り、ご機嫌に歌を歌う。しばらく走っていると、チャイ屋に寄ろうと言われた。行ってもいいが私は買わないよと告げ、その店に行った。しかし、チャイが何分経っても出てこない。なので、全力で意思表示をした、めちゃくちゃ怒った。その時の動画が奇跡的にあるので、またどこかで。
世界遺産タージマハルに行った。大理石が美しく輝いていた。たまらなかった。圧倒された。
近くにあった観光地、アグラフォートで同い年で大学も近い日本人2人組に出会った。なかなかのナイスガイだった。
今日一日中、リキシャの運転手のラージにお世話になった。明らかに怪しいお土産屋さんに連れていかれてめちゃくちゃ喧嘩もした。一日連れ回した挙句、格安だったので感謝もしている。
次の日、電車を乗り間違えた。その時にこの青年が助けてくれた。3時間、手取り足取りたくさんお世話してくれた。チップを渡そうとすると500ルピー(約800円)でいいよとのことだった。しかし、500ルピーを渡すと目の色を変えてあと500ルピーくれと強く言ってきた。つまり彼に1000ルピー(約1600円)渡した。目の色が明らかに変わり、怖くなった。そこまで男の子と絵を描いて遊び、この青年に助けてもらった嬉しさから涙が溢れていた。旅の醍醐味がして嬉しかったのだ。しかし涙はスッとひいた。
第2弾 3/4(土)〜3/5(日)
死にかけて、ジャイプールを観光し、お家にお邪魔する。
電車のチケットが取れなかったので、路線バスを乗り継ぎ夜行バスに飛び乗った。次の街、ジャイプールに着いたのは深夜3時だった。
夜中の3時にホテルを探すために、真っ暗な道を1人でさまよい歩く。初めて死ぬかもしれないと思った。自分の行動が一つでもずれていたら生きていなかったかもしれない。そのくらいギリギリのラインだったような気がする。たくさんの人の顔が思い浮かんだ。「絶対に生きる。」何度も唱えた。
途中でおじさんを捕まえて、連れ回して一緒にホテルを探した。粘りに粘ってホテルが見つかった。約2時間が本当に長く感じた。とにかく怖かった。心は折れてる場合じゃなかった。
【本編にも詳しく書いてあるので、気になったら見てくださいね】
少し仮眠をした翌朝、おじさんに子どもに合わせたいから家に来ないかと誘われた。もちろん断った。家に行き、誘拐されてお金を取られることはよくあるらしいし、行って良い事は無さそうだ。が、何に血迷ったのか彼の家に行く一歩手前だった。新たに見つけたホテルのオーナーにこの事を指摘され、運良く気がついた。夜中の格闘の感謝の気持ちから誘いに乗ろうとしていた。
ジャイプールの観光地、ハワマハルに行き、近くのお土産屋さんに3時間入り浸る。店主で兄弟のニッキルとアノジと仲良くなる。
翌日、ガイドのケムラージにジャイプールを一日案内してもらった。数日後にあるお祭りのビッグイベント、ホーリーを少し味わった。地元の人しかいない寺院で熱気に圧倒された。その他も宮殿やご飯屋さんに連れて行ってもらった。
ガイドのケムラージのお家にもお邪魔させてもらった。初めは家に入るつもりはなかったが、彼の小さい娘さんや奥様が家の前まで出てきたので、「これはいける。」直感を信じた。たくさんのおもてなしを受けた。
第3弾 3/6(月)〜3/8(水)
インドのお祭り、ホーリーに小学校からの幼馴染と参加する。地元の少年たちと一緒に。
ムンバイに着き、小学校からの幼馴染にまさかのインドで会う。そこからムンバイを観光し、謎のガイドを装った極悪詐欺師に捕まりそうになる。
2人でナイトマーケットでたくさんのフルーツを買い漁る。
翌朝、インドの春を祝う祭り、ホーリーに参加する。例えるとすればスプラトゥーンのような祭りだ!音の鳴る方へ歩いていたら、たくさんの素敵な出会いがあった。
まずは、地元の少年少女たちに出会った。色粉を肌にお互い塗り合う。自分たちも彼ら彼女らも全身カラフルだ。
次に、家族規模でやっているホーリーにお邪魔させてもらった。ココナッツジュースや甘いお菓子をいただき、たくさんのおもてなしを受けた。
そして、この旅の中でも大好きなエピソードの少年たちのグループに出会う。英語でたくさん話し、水や粉をかけ合った。音楽と一緒に彼らと踊った。少年たちと2時間半も一緒にいた。
彼らのお父さんからビリヤニもいただいた。とても辛かったが、美味しかった。見た目からしても辛そう。手が汚れていても関係ないし、辛くてもそんな事どうでもいい。世界で一番美味しい。ビリヤニを振る舞ってもらい、少年たちと食べるご飯は美味しい上に、最高の幸せを感じる。このビリヤニを食べて心もお腹も満たされた。家庭の味で本当に美味しかった。でも、めーーーちゃ辛かった。
友達とはここでお別れした。その後も激安で泊まり、翌朝は再びニューデリーに戻り、ガンジス川のある街、バラナシへと向かう電車を待っていた。
第4弾 3/9(木)
またまたビリヤニやご飯をいただき、念願のガンジス川に行く。
ニューデリー駅からガンジス川のある街バラナシへの夜行列車がゆっくり、大きな音を出して進み出した。数十分経った時、前にいたムスリムのお母さんと、インド人青年にご飯をおすそ分けしていただいた。チキンビリヤニと牛肉をパンで挟むもの。とてもとてもおいしかった。見ず知らずの若者にご飯をくれるなんて、、インドがより好きなった出来事でした。
バラナシに着き、ガンジス川に行った。ガンジスには国内外の観光客が集まる。そこには団体の観光客、観光用ボートの客引き、オレンジ色の服を着た人たち、家族で沐浴している人、それを見る人や写真を撮る人、さまざまな目的を持った人がいた。
どローカルな店で食事をとった。今でもよくわからない食べ物だったが、美味しかった。だが、油の質が悪いのかムカムカした。
第5弾 3/10(金)
ガンジス川そばの火葬場で亡くなったおばあちゃんが姿そのままで炎に包まれていく様子を見る。
朝から2件激うまラッシー屋をハシゴし、昼ごはんを食べるために昨日行った店にもう一度行く。
白い布に覆われたご遺体が火葬場までやってきた。ガンジスの水に浸してはあげてを何度か繰り返していた。そして、薪が組まれている場所へご遺体が置かれた。火を薪につけ、少しずつ燃えていった。そこからじわじわと燃えていき、次第に炎が立つようになった。その辺りでおばあちゃんが火葬されていたことに気がついた。いつのまにか覆っていた白い布はなく、骨格的にもおばあちゃんだと推測できた。
火による熱気と気候的な暑さで汗も出る。だけど、そんなことも全く気にならなかった。ただ、おばあちゃんが燃えていく姿をじっと見つめていた。動けなかった。動こうとも思わなかった。これは自分の目でしっかりと見なければいけない。強い使命感、ある種の義務感に包まれる。
炎の中にいるおばあちゃんの姿を見ている時、どちらかというと無心に近かった。考えるよりも前に目に焼き付けたかった。だが、少しでも気を抜くと自分の心の中で揺れ動き続けているものが頭を駆け巡る。そのおばあちゃんがどのように生きてきたのか、どのような人だったのか、愛されていたのか、そんなことを考えていると終わりはない。"生きること"と"死ぬこと"、"生と死"がダイレクトに自分の心に飛び込んできていた。
この光景は自分の人生観を左右する出来事だと思い、じっと見つめていた。そんな過去の自分に感謝したい。
第6弾 3/11(土)〜3/13(月)
ガンジスの朝日を浴びて帰国の途につくが、ここにきて体調が、、香港ディズニーに行けるかな。
6時に起きて、ガンジス川で朝日を拝み、ガンジスで日を浴びた。身体に心地よく突き刺さる朝日と、ほのかに漂う風。細胞まで染みるような感覚がある。ここには言葉にすることのできないパワーがあるかもしれない。そして、もしガンジスに行く機会があれば、ぜひ朝日を浴びてほしい。何かはわからないが、気持ちいい。
お昼にはバラナシを離れ、ニューデリーへの飛行機に乗った。その時の機内食で出た飲み物がびっくりするくらい不味かった。
乗り継ぎのためにニューデリーの空港で待っていた。旅の疲れなのか、座っているのがしんどくなった。寝転んでみてもしんどい。何をしてもしんどい。体調が悪く、吐けそうだったがそう上手くもいかなかった。トイレの前に陣取り、何度もチャレンジした。そして、マサラレモンジュースを一口飲み、吐くことができた。マサラレモンジュースに助けられたのだった。スッキリはしたが、その時はおそらく高熱だったに違いない。
乗り継ぎ先が香港だった。半日以上滞在することになっていたので、香港ディズニーに行くつもりだった。しかし体調は良くない。でも行きたいので、少し無理をして行くことになった。
香港ディズニーに着き、たくさんアトラクションに乗った。ショーもたくさん見た。本編の方に詳しく載ってるのでそれもぜひ!
イッツ・ア・スモール・ワールドに行った。最後列の4人掛けの席に自分1人。そして前には4人家族。虚しくなった。1人でインドにも行けるし、映画にも、ご飯にも、旅行も何でもできる。でも1人でテーマパークにはもう行けない。寂しかった。この瞬間に心は完全に折れた。完全に孤独を味わった。テーマパークは楽しさを共有してこそだ。一つ勉強にもなったし、これは挑戦した結果だ。やってみなけりゃわからなかった。
お城にプロジェクションマッピングでディズニー作品の映像が流れるモーメンタスを見た。花火と映像のコラボはとても良かった。ただ、独りで寂しかった。
約9時間、みっちり楽しんだ。体調の悪さを感じる時もあったが、アドレナリンでそんなことは忘れていた。とにかく楽しかった。
日本へと飛行機は出発した。体調は悪いので、気絶するようにずっと寝ていた。関空に着いた時は心から安心した。
家に着いてから白米といかなごのくぎ煮をお腹いっぱい食べた。3日ぶりにまともなご飯を食べた。ご飯が美味しすぎて、お腹を壊した。身体の疲れもしばらく取れなかった。出国時からマイナス5キロ、満身創痍の帰国だった。
おまけ
インドに行けば、その魅力にどっぷりハマる人と2度と行かないと言う人がいる。自分はもう一回くらいは行きたいかなと思うくらいだった。どっちでもなかった。インドに何回も行くのなら、違う国や文化を味わいたいし、もっと知らない世界が見たい。