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ライフストーリー⑥魂と体はベストパートナー♥

 幼少期の両親の話をしたいと思う。父親は仕事が忙しく正月しか休みはなく家で一緒に過ごす事は今でも昔から病気の時しかない。でも、旅行には積極的に行ってくれた。毎年父親の友達家族と伊豆の別荘みたいなところにとなり、泊まり作ってくれる方がきて色々美味しい物を食べさせてくれた。初めてサザエを食べた。ある朝食べている部屋の窓からたぬきをみたのを覚えている。話はあまりしなかったが、時々よく見てるよと、でも私的にはちょっと違うんだよなと思って聞いていた。だが、愛情は伝わってきた。

 母は保育園の時から厳しく教育ママであった。年長では叩かれながら自分の名前を漢字で書く練習を毎日した。一つ下の弟は自ら本を読みあさる優等生で余計に姉の私が「出来ない子」レッテルを貼られていた永、とてもいやだった。でも寝るときにおでこを毎日なでてくれてたのを覚えている。とても行動的で父親が仕事でいないのでいろいろなところに連れってくれた。小学生の時は中でも親子劇場と言う親子でいろいろな体験をしようとたまたま私の小学校1年生の担任が室内で親子で遊んだり毎年キャンプしたり、他の学校と合唱して戦争中の「象列車」勉強しながら発表したり、至れり尽くせりでとても楽しかった。今思うと初対面でも緊張しないのは母がいろいろな人に会わせてくれたからじゃないかと思う。キャンプでは私も弟も川で溺れて他のパパが飛び込んで助けてくれた。キャンプファイヤーでは、毎年私たちも出し物をしたが、親たちも尻文字とか踊りとか子供らを喜ばせようと一緒に楽しんでくれた。人形劇も毎年楽しみであった。
 

合唱も教えてくれる先生が情熱的で皆が一緒になって心から歌った。ソロに選ばれなかったのが、残念だったが、休み時間に幼なじみと遊ぶのがとても楽しかった。

 その他少年自然の家で生で食べても美味しかったトウモロコシや椎茸を育てたり、凧を手作りしたり、片道1時間の岡崎の博物館ではよく行き毎年いろいろな焼き物を作りに行った。他も学校で「アンネフランク」の生涯を皆で勉強したり、視聴覚センターで理科の実験で勉強するなど、ありとあらゆる事を体験した。厳しくてスゴク嫌で私は捨て子だと思っていたが、私たちと一緒にいたくて仕事を内職にしたと言っていたので本当は子供がとても好きだったじゃないかと思うと涙があふれる。今の私にはとても真似出来ない。ごめんね愛されてないと思って死のうとしたりさらって欲しいと外をふらふらしてしまって。。。振り返るととても愛されていた事に気づく。

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