結婚、出産をしない理由 #1
結婚、出産をしない理由
私は結婚に夢を見ていないし憧れもない。
もうかれこれ数年パートナーもいない。
同年代の友人たちが結婚をし子供を産み母親として別のステージに上がった今だからこそ身近に感じる『結婚』と『出産・子供』というワードは、私には重くて到底抱えきれない。
そんな私を『別世界の人間』のように友人たちは扱うが、これはなにも悪いことではない。
彼女たちにとっての普通や当たり前が私にとって違うだけのことなのだ。
結婚をしない、子供を産まない、こういう選択をすることに未だに賛否がある世の中。その選択を受け入れようという形だけの言動をする政治家たちにも私を『別世界の人間』と扱う友人たちにも、私の気持ちはきっと理解できないことであろう。
だが、理解できないことは政治家たちも友人たちも悪くない。
ただ私のような人間が『結婚』や『出産・子供』を自分の人生の彩りとして捉えない理由が、ただしたくないだけではなく自身を産んで育てた『親』が原因であるという意見については一度飲み込んでほしいとは思うのだ。
互いに経験したことは当事者同士わかりあえたり歩み寄れるが、片方が経験の無いことだと歩み寄りや理解はとても簡単とは言えない。虐待とはまさにそうである。
心理的虐待を受けていた友人とはその経験を分かりあい歩み寄りとても互いのことを理解できた。が、その友人は身体的虐待は受けていなかったので私が親に殴られた経験を話すととんでもなく引いた、それはもうめっちゃ引いてた。
私は毒親に育てられた結果、結婚や出産をしないと決めたのだ。
普通の親に育てられた子供たちには普通の幸せとして結婚や出産が含まれる。だから私を『別世界の人間』として扱う友人がいることに疑問を感じないし納得している。彼女たちが普通の親に育てられたごくごく普通の温かな家庭に産まれ育っただけのことだからそれでいいのだ。
ただその普通を当たり前だと思い他者に当てはめることは、無意識に人を傷つけているということをここで伝えたい。
その普通がどれだけ恵まれていてそれを望む人間がいるのか知らない彼女たちや政治家たちに言ってやりたい。
子供を傷つけない親ばかりだと思うなよ、と。
そしてそれは誰もがそうなる可能性を秘めているのかもしれないということを政治家、行政は理解していないからいつだって対応が遅く命に関わる事案が増えていく。
親になっていないけど、親が大変で脆くていつだって簡単に凶暴化するという姿を目の前で見てきたからこそ私は思う。
結婚と出産はしない。
小さな命を慈しみ愛し育むことにどれだけ豊かな心が必要か、私は自分の親を通して理解している。
そして同じ目線でその小さな命を見つめられるパートナーを見つけることはとても難しく、そのパートナーは異性である以上同じ痛みを感じて子どもを産むわけではないこと。
痛みに耐えて小さな命を産んで喜び合っても、あっさり裏切り行為をすることがあると私は自分の父を通して知っている。
そして、その小さな命に暴力を振るうのだから自分勝手もいいとこだ。
私は自分があの毒親と同じように誰かと共に生きることになった先で、その誰かや子どもを傷つける未来が来るかもしれないと考えると誰かと生きることが恐ろしくてたまらないのだ。