北海道一人旅:二風谷コタン


3月8日晴れ。
苫小牧からバスに乗り、二風谷コタンを目指した。「これを逃したら今日はこの目的地に行けない」という緊張感を初めて経験した気がする。
1時間半近くバスに乗り、2つ目のバスが来るのを待っていたとき、先に待っていたおばあちゃんが「(バスが来るのは)こっちだよ」と教えてくれた。聞くと、おばあちゃんは私が向かう二風谷に住んでいるらしい。平取(バスの乗り換えをした場所)の病院に通っているため、終わってから毎日3本しか来ないバスの1本に乗り、帰るそうだ。おばあちゃんはバスに乗っても「整理券取ってね」、「次で降りるのよ」と親切にしてくれた。

二風谷コタンは予想していた何倍も静かで人の気配が感じられない場所であった。さすがにチセに人は住んでいないとはいえ、コタンの中に出店や家の展示があるものだと思っていたら、全くそんなことはなかった。入り口からすぐにチセが多方面に見られるが、誰もいない。初めて人を見たのは、奥に進んで見られた二風谷博物館のスタッフさんであった。博物館は、「人々のくらし」、「神々のロマン」、「大地のめぐみ」に分けられて展示されていた。しかし、あまりそれぞれとの境界線は感じられなかった。

一通り回った感想は、「一つ一つの工芸品にぬくもりを感じ、実際に当時の人がそれを使っている場面を想像すると、ワクワクする」というものだ。
子どもをあやすためのゆりかご、ご飯をすくうための大きなしゃもじ、鍋を囲む暖炉、料理湯の大きな壺型の入れ物、全てに愛しさを感じる。後日ウポポイの展示と比べて気づいたが、ウポポイには説明書きや動画が並べられている一方で、二風谷の展示物には最低限の説明文しかなかったため、私の想像力を掻き立てたのかもしれない。工芸品のほとんどが木でできていることと、アイヌの暮らしの多くが少なくとも明治まで続いていたことを考えると、近現代まで「木」を使い、共に生活をしていたのは純粋にすごい。自然と共に生きるとは、こういうことなのだろうか。

展示物で最も驚いたのは、あつし織だ。はじめは何なのかよくわからなかったが、木の皮から糸を作り、その糸で織物を作っていくことがわかった。一本の糸を作るのにも手間がかかるのに、それを何本も作り、さらには横糸も作り上げるのは相当の工程だ。

また、アイヌ文様も美しいと思うようになった。来る前は、文様に美を感じておらず、むしろ鬼の形相のようで怖いとすら思っていた。なぜこんなにも印象が変わったのだろう。文様の工程や背景を知ったからだろうか。インターネットではなく実物を初めて見たからだろうか。

博物館の隣にあるお店であつし織のキーホルダーを買った。お店の方が「どこから来たのですか」と話しかけてくれた。あたたかい瞬間が重なり、同時に生かされていることを知る。

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