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演者さん選考の際に考えていること

こんばんは。
音声劇団 燦魂神話大系、主宰の丸野三太郎です。

第4回ラジドリコロシアムつながりで箱舟壱座のNoahさん、そしてラジドリ運営の矧矢さんが「ラジオドラマにおける演者さんの選考」について話されていたので、丸野も便乗してみることにしました。(これが人生初めてのノートだというのになんて大それたことを……)

文章はかなり下手なのですが、頑張って書いていきます!

⭐︎箱舟壱座 Noah Revさんの記事はこちら!
▶︎https://noahrev.com/blog/2023/03/choose-voice-actor/

⭐︎ラジドリ運営 矧矢さんの記事はこちら!
▶︎https://note.com/hagiya758/n/n88a280ed64fd


燦魂は11年前の2013年に結成したオーディオドラマ制作団体です。
時の流れと共に、演者さんの選考過程も大きく変わってきました。
当初燦魂は全てオーディション形式で行ってきました。知る人ぞ知る「助っ人さんを募集しています」で応募要項を載せていました。

しかし現在は燦魂作品に出演してくださる方のほとんどは燦魂からの「依頼」という形です。

コロナ以前はアーティストの方とのコラボイベントなども実施しておりましたが、現在の作品制作は年に一本程度。まったりペースは良いのですが、やはり音声劇団を名乗っている以上、もう少し作品は作っていきたい所です。

話が逸れました。
先ほど申し上げた様に、演者さんの選考はほとんどが依頼。では作品依頼をするまでに具体的にどういう基準を設けて選んでいるのか。

燦魂、とりわけ丸野個人が大切にしている基準。

「お人柄、丁寧な対応」
「音質と声の演技力」
「役との相性」


この3つです。
なんのひねりもなく申し訳ありません!
この3つを加味した上で依頼させていただいております。

お人柄と丁寧な対応
やはりこれは大きいです。ぜひこの人と一緒に作品作りがしたい!と感じるお人柄。

これは何も、おもしろいことを話されるから、というわけではありません。その人の誠実さ、丁寧さ
言うなれば人として信頼できる方かどうか、いうことになります。

なぜこれを一番に書いたかというと、特に燦魂は全体稽古をせず、全て個々の短いやり取りのみで打ち合わせを行い、収録してもらうという制作スタイルを取っているからです。

やり取りのほとんどは演者さんとのDMや通話がメイン。そこできちんとしたコミュニケーションが行えることは必須条件だと考えています。

ネットで声の活動をされている方はぼくも含めて、リアルの日常というものがあります。平日しか休みがない、夜勤がある、集合住宅で声を出す時間が限られる、家族や親戚の世話をしている、などなど。

各々の事情を抱えながら、それでも音声表現が好きだと時間を捻出されている方が多いです。(燦魂結成当初、ぼくは実家暮らしで自分の部屋もなく、家族から音声表現の理解も得られませんでしたから、定期的な打ち合わせを要する企画やリアルタイムでの声劇に対するハードルは凄まじく高いものがありました)

そういう当時の苦い思い出もあってか、なるべく拘束時間が短いやり取りで作品制作を進めたいという気持ちがあります。短い打ち合わせを円滑に進めるためにも丁寧に対応してくださる方かどうかということはとても重要視しています。

ぼくの好きな言葉で「芸術は細部に宿る、人柄もまた細部に宿る」というものがあります。

出演作品、配信、xのポストなど、その人が発信しているものはできる限り見聞きします。話し方、使われる言葉、リアクション。何を大切にしているのか。色んな角度からその人を知ろうと心掛けます。そういったリサーチを経て依頼をさせて頂くことが多いです。

幸いなことにxで繋がっている方はみなさん丁寧に対応してくださるので今まで、困ってしまった……ということはありません。本当にありがたいことです。


音質と声の演技力
これは本来別々のものです。
音質はどうしてもマイクの性能や収録環境によって左右されてしまう外的な要因であり、演技力は演者さんのアウトプットの仕方、内的要因に起因するものです。

しかしこの2つの条件が揃わない場合、お声掛けするのが難しいと感じてしまいます。
どれだけ魅力的なお芝居でも、部屋の反響音が強く音質が他の人とあまりにも違っては音が浮いてしまいますし、どれだけ音質が良くても人物の軸を捉えていないお芝居はその作品世界を壊してしまいます。このふたつはどちらが欠けてもダメだと考えています。


少し話は逸れますが、ぼくが個人的に良いなと感じるお芝居について。
①人物の軸がきちんと定まっているお芝居
②自然な音運びを大切にするお芝居
③感情や行動を聴き手に想起させるお芝居

この3つです。

とはいえあまりにも抽象的過ぎると思うのでもう少し砕いて説明します。


①人物の軸がきちんと定まっているお芝居

人は会話する相手によって微妙にその対応を変化させます。例えば私たちは親に対して、友達に対して、上司先輩に対して、恋人に対して、苦手な人に対して……声の出し方はほぼ無意識的に変わっていきます。その変化を声に乗せられる演者さん、一つの人物の中に色々な表情を魅せてくれる演者さんは良いお芝居をされる方だなと感じます。

逆に誰に対してもずっと同じテンションで話していて、感情爆発の場面になると声質が変わってしまったり、相手を思いやって話す言葉なのに自慢げなかっこいい音が乗ってしまったり……こういったお芝居に対してぼくは「人物の線が繋がってない」「人物の軸がブレている」と評することがあります。

丸野も遠い昔、お世話になった役者さんに「丸野はキャラを演じることばかり考えていて、人間を表現しようとしてない。だから全部ぶつ切り。役が繋がってない」と、けちょんけちょんに言われました。
今思えば全くその通り。その言葉がぼくの大切な軸になっています。大切な感覚を教えてくださった先生には本当に頭が上がりません。

②自然な音運びを大切にするお芝居
ぼくたちが言葉を話す際、最初高い音から始まり徐々に音は下がっていきます。もちろんこの音の下降は一定ではなく、感情の変化や意図によって途中で音が微妙に上がります。
これが一般的にいう「言葉を立てる」と言うものです。

その変化がわざとらしくないお芝居に対してぼくは「自然なお芝居」「ナチュラルなお芝居」と評します。これは棒読みとは似て非なるものです(棒読みの中でも意図的に音を一定にする棒読みと声の指向性が定まっていないお芝居とに分かれるのですが、これはまた別の機会に)

変な言い方ですが、デフォルメでも棒読み、抑揚は少なくても役をきちんと捉えたお芝居というものが存在していると思っています。

舞台演劇では「大きな表現ができる役者は小さな表現もできる」と言われることが多いです。
芝居は「4倍(しばい)」と呼ばれることもあります。
しかし、

マイクを通して細かい音を録音し、リスナーさんもイヤホンを使用することが多い現代の音声劇において、必ずしもそうではない

というのがぼくのスタンスです。

あくまでぼくの解釈ですが「声の大小に関係なく細やかな調整ができるかどうか」が重要なのであって、「どれだけ抑揚をつけるか、声を張り上げるか、オーバーな表現をするか」は音声劇において必ずしも良い芝居に直結しないというのがぼくの考えです。

③感情や行動を聴き手に想起させるお芝居
これまたややこしい言い方になってしまってすみません。想起させるというのはお芝居が押し付けがましくなく、リスナーさんの想像力を掻き立てるような表現、ということです。
言い換えれば「感情を説明しているお芝居になっていないかどうか」ということです。

怒っているから怒ったように。
笑っているから笑っているように。
悲しんでいるから悲しんでいるように。

こういう演者の意図が前面に出てしまうお芝居は「今、ぼくが演じてる役はこういう感情なんですよ」という説明が先行してしまって、リスナーさんの想像力をどうしても阻んでしまいがちです。

具体例を出すなら好きな相手に告白するシーン。
声を震わせると「緊張している感じ」を出すことができます。しかしそれだけになってしまうとその緊張の来る根源がわからないのです。

震える原因はなんでしょう。

好きな人が目の前にいることに対する興奮、振られるかもしれないという不安、ひょっとしたらという期待、練習通りうまく言えない苛立ち、他にもたくさん想起できます。

キャラクターの声を出すことに留まらず、もし演じている役がこの世に存在していたら。その人は何に泣き、何に喜びを感じるのか。その役を文章上のキャラクターではなく、ひとりの人間としてどこまでその心理に寄り添えるか

台詞の裏にあるいくつものバックグラウンドを考えることで、単一ではない複雑な感情の色味を出すことができる

それがリスナーさんの想像の余白を持たせることに繋がり、特に視覚情報のない音声劇ではその余白が強みになると考えています。そういう色を大事に考えて演じてくださる演者さんにぼくは強い魅力を感じます。
(もちろん、そのパーセンテージを分析してディレクションを出すのが演出の役割だと感じています)

長くなりましたが、ぼくの考える演技力とは

「役をひとりの人間としてどこまで親身になって考えてくれているかというセンサーの鋭さ」

なんだと思います。

もちろん創作物ですので、燦魂作品はすべてが論理的に繋がっているわけではないです。現実的に考えるとツッコミどころ満載の演出もあります。
どこまでいっても物語である以上、虚構です。
しかしリアリティとは「現実にどこまで即しているか」ではなく「どこまで現実味があるか」と考えています。

現実と虚構の狭間を行ったり来たり。
そんな不安定な存在である役を、
声をもってそこに存在させる


そこが演者さんに求められることであり、そこが演じることの一番のおもしろさではないかなと。

●役との相性
そして最後、役との相性です。
こればっかりは全員の演者さんとの声質の兼ね合いやインスピレーションになってきます。
ここはもう独断と偏見としか言いようがありません!すみません!

最後に。
ここまでえらそうに長々と演者さんの選考基準について書きましたが、ぼく自身書いていて耳が痛くなる言葉のオンパレードでした()

自分も頑張らねば!

聴いてくださったリスナーさんに聴いて良かったと思ってもらえることをモットーに、これからも作品を作り続けて行きたいと思います。

ここまでの文字数、4000字。
よ、4000字!?
大学のレポートやんか!
えええ……(自分でちょっと引いてる)

繰り返しになりますが、これは丸野個人の感覚です。「そういう意見もあるのか」くらいに捉えていただけると幸いです。

それぞれの団体が力を振り絞って制作したラジオドラマが聴ける賞レース!

第4回ラジドリコロシアム!!!


ぼくの燦魂も参加しております。
全6作品が1000円で聴けちゃう、ラジオドラマのお祭りです!
ぜひ購入して各団体の力作を聴いてください!
そして投票してみてください!

⭐︎ラジドリコロシアム購入窓口
▶︎
https://radidori758.stores.jp/items/667fd3678e3e6519cc04cb3c

⭐︎ラジドリコロシアムイベント概要ページ
▶︎
https://radidori-colosseum.jimdosite.com/

ここまで目を通してくださり、本当にありがとうございました!

丸野三太郎


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