Vol.2 人生は別れと出会いの繰り返しだ!
食べ物の大切さに気づいた…
父のこと
私の父は2009年に癌で亡くなりました。
60歳でした。
私とバージンロードを歩いて一年を待たずに、病気が判明してからたった10ヶ月で逝ってしまいました。
私は、父が病気だとわかった時から食べる物を意識し始めました。
父は煙草の吸い過ぎで肺が真っ白だったので、それが原因なのは明らかなのですが、それでも、食べる物は体に良いものに越したことはないと思ったのです。
私の野菜お買い物遍歴
2009年から2013年頃まで、らでいっしゅぼーやという旬の有機野菜を箱に詰めて週に一回配達してくれる定期配達サービスを利用するようになりました。
主婦に成り立ての頃から長女が生まれてしばらくの間のことです。
高くても安心安全な食材が手に入り、また、自分で買い物していたら買わなかったであろう野菜が来ると、レシピを調べてつくったりすることで、主婦スキルがアップしていきました。
しかし、やっぱり高い…。
そこで、らでぃしゅぼーやはやめて、週に一回、六甲の恵みというJAの地産地消の野菜中心の売り場に野菜を買いに行くようになりました。
旬の野菜を中心に、献立を考えてから自分で選んで買う(それが普通の買い物なんですが)ことが楽しくなりました。
竹下屋との出会い
2019年になると、前職の職場がある駅の構内に突如「竹下屋」という八百屋が現れました。「形は悪いが味はいい」とでかでかと筆文字で看板に書かれていて、面白いな〜と思いました。私は自分の旧姓である「竹下」という屋号に親しみを感じ、帰り際の1分で(幼稚園バスのお迎えに間に合うには乗らなければならない電車はたった一本、それを逃せないので)目についたものをパパッと買って帰りました。六甲の恵みより値段は高めの野菜でしたが、それがどれも美味しい!
これは、野菜のセレクトショップだ!と思いました。
2020年4月〜5月。3月から出ていた緊急事態宣言の関係で「小さい子どもを持つママ職員は休んでください」という職場からのありがたい御達しが出ました。私は学校と幼稚園を休んでいる二人の娘と長い長い「コロナ禍休み」に入ります。当然、職場には行かないので電車にも乗らない。「竹下屋」の野菜も買えないなぁと思っていた矢先のことです。
子どもたちと遊びに行った近所の公園の前に、偶然見つけたでっかい白いトラック。赤い筆でデカデカと見たことのある文字が書かれています。
「お母さん!あのトラック竹下屋って書いてるで!あれなんやろ?」と最初に発見したのは上の娘でした。おばあちゃんの苗字を見つけて嬉しそう。私はもっと嬉しい!
興奮気味に「名谷でよく買ってました!何で?」と聞くと、やはりコロナのせいで、駅構内での販売は一旦撤退してトラックで神戸市内の色んなところに売りに回っているとのこと。
職場の最寄駅を撤退して、住んでる街に売りに来るなんて。しかも、私が休みになったタイミングで…。苗字も一緒やし、ますます縁を感じずにいられません。
売りに来る曜日は地域ごとに決まっていて(我が街が何曜日だったかは忘れましたが)各公園の滞在時間は10分程度でした。
私はもらった時刻表に合わせて、その日に行く公園を決めて、徒歩〜自転車で行ける公園に子どもたちを連れて行きました。
「トラック来たからちょっと買ってくるわ。遊んでてな」という買い物を週に一回するのは今思えば私の「ころなか休み」の楽しみの一つでした。
また駅ナカ販売に戻りますので、よろしくお願いします。という竹下屋の案内に、トラックが来るのを楽しみにしていた主婦たちは「えー!」と思ったでしょうが、私だけはニヤリとしました。
案の定、時を同じくして、学校も幼稚園も再開し、私も通常通り出勤するようになったのです。
晴れて、駅ナカで野菜を買い、ほぼ途絶えることなく、竹下屋の野菜を買い続けることができたあの頃は、今思えば本当に幸せなことでした。
ボーダレスジャパンとの出会い
2021年4月、私はテレビでボーダレス・ジャパンという会社の存在を知ります。それは社会起業家を次々と輩出している会社でした。
それを見て、私もごみ問題をビジネスで解決したい!と思い、養成校であるボーダレス・アカデミーの集中講座を受けました。
その時に買った田口社長の本「9割の社会問題はビジネスで解決できる」に書かれていたのです。
竹下屋の竹下さんはボーダレスグループの「タベモノガタリ」の社長さんだったのです。
竹下屋との別れ
竹下屋がボーダレスグループだと知らずに、ボーダレスアカデミーに入ったことに、またまた私は縁を感じて、心が浮き立っていました。
ところが!そんな浮かれた私を沈ませる出来事が起こりました。
2021年7月、竹下屋は駅ナカ出店を惜しまれつつ撤退。
2021年12月、タベモノガタリは竹下屋の事業を撤退してしまうのです。
Twitterで竹下社長をフォローしていていたので、事情は理解できましたし、竹下社長は若いけれど、カリスマ性のある素晴らしい方で、前向きに会社の経営の舵取りをされています。それでも竹下屋がなくなるのは、とても寂しかったです。
今は、また六甲の恵みに戻って、地産地消の野菜の中でも高くて見た目が悪くても有機野菜を中心に選んで買うようにしています。
それはらでぃっしゅぼーや、竹下屋、ボーダレスアカデミーで出会った環境問題にストイックに取り組んでいる仲間からのたくさんの学びから得た、今私にとってベターな野菜のお買い物の仕方です。
仕事のこと
2022年3月、私は20年働いた保育園の保育士を辞めました。
2022年4月、色々あって、週2日だけ、オンラインのパートのおばちゃんとしてボーダレス・アカデミーで働き始めました。慣れないパソコンの仕事ですが、この経験がまた自分の人生を変えてゆくと信じています。
皆さんの人生には、どんな別れと出会いがありましたか?
どんな出会いも経験も、自分を作ってゆくなぁと、この年になるとしみじみ思います。
限りある人生、無駄にはできないぞ。
私は健康に長生きして、やりたいことやっていきます。
お父さん、まだまだそっちには行かないからね!
見ててね!
2022年4月11日(次女の入学式でした!)