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マイノリティとは

マイノリティとは何なのか。ここ数年でよく聞くようになった言葉の一つ。
「社会的少数派の人たち」というような感じで理解していた。

最近の日本でもLGBTQのことが話題になったり、マイノリティの人たちに対しての理解を深めようとする動きも増えてきているとは思う。

マイノリティとは、「少ないこと」および「少数派」という意味の語である。とりわけ社会的に少数派と位置付けられる人々(マイノリティグループ)を指す意味で用いられることが多い。
実用日本語表現辞典

私自身も、理解を深めたい、正しい知識がほしいと思い、情報を取りに行くことがあった。それでも理解しきれていないことがたくさんあると思う。


今回、JICA海外協力隊として海外で生活することになって、マイノリティの経験をすることになると思っていた。日本人のほぼいない環境下での生活。

日本で生活をしてきて、マイノリティの経験をしたという記憶がほぼない。そのような状況になっていても自分自身が気づいていないだけかもしれないが。
自分でも舐めた発言をしているのは分かっているけど、初めて海外で生活するにあたり、マイノリティの経験をすることを少し楽しみにしていた自分もいる。
その時、自分はどんな気持ちになるのか、どう乗り越えようとするのか、ということに興味があった。
これは実際にその経験をして辛い気持ちになったことのある人にとっては、何考えとんねん!と思われるような発想なのかもれない。
でも、何も知らないからこそ経験してみたいと思った。


プノンペンで1ヶ月、その後任地に来て1ヶ月半が過ぎた今、自分が想像していたようなマイノリティの経験をしているようには感じない。でもこれも鈍感なだけかもしれないと思う。同期や先輩隊員は感じている人もいるようだ。
生活をしている街には日本人は協力隊員しかいない。(と思う。現在3名)
街中ではよく、「アニョハセヨー」と声をかけられる。その時は日本人だと訂正したり、「Hello」だけ言って何も言わない時もある。
物珍しそうにじーっとみてくる人もいるし、市場で買い物をしていても言葉が通じないから呆れられ、「もういいわ!」と言われているように感じる時もある。
まぁでもこの街に日本人がいたら珍しいよなぁ。日本人より韓国人の方が身近なんだなぁと思いながら過ごしている。
これが鈍感なのか。日本人として認識してもらえないこと、外国人だから言葉が通じないから適当にあしらわれることがマイノリティの経験なのか。
なんかだんだん分からなくなってきた。

アフリカの隊員の人たちは、見た目(肌の色など)でもっと目立つからもっと様々な声のかけられ方や扱われ方をしていると聞くこともある。
カンボジアは日本と同じアジアだから、顔の感じは少し違うけど似ているところもあるし、親日の国だから日本人も溶け込みやすいのかな。


まだカンボジアで過ごした期間が短いから今後どのような経験をするか分からないけど、今のところ想像していたような疎外感というか寂しさは感じていない、ということです。
それは現地の人たちの優しさや暖かさのおかげでもあると思う。


自分からマイノリティの経験をしたいだなんて舐めたことを言っていると思われるかもしれないけど、それが本心です。その経験をして辛い思いをしている人がいたら、ごめんなさい。
でも、マイノリティの経験=辛い、とかって考えていることがおかしいな。


マイノリティとは何なのか、もう一度しっかり調べないといけないと思った。

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