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見えているのはほんの一部

先日、同じ街に住む日本人ご夫婦の家でご馳走になった。
お二人は約7年この街で暮らしながら地元の人達の生活を支えているそう。
地元の人たちが自立した生活を送れるようにアドバイスなどをしているようだ。完全なるボランティア。

奥様の手作りカレーはカンボジアカレーで、現地の人に作り方を教えてもらったらしい。
私もたまに大家さんの作ったカンボジアカレーをいただくけど、今回もとても美味しかった。


ご夫婦とは街中のカフェでたまたま出会って声をかけたことから始まり、今回が初めて長い時間お話しできた。

さすが約7年もこの街で暮らされているからこその思いや、この街や人々の変化を聞くことができた。


たくさんの話を聞いてもらい、またたくさん話を聞かせていただいた中で心に残っているのは、

私はまだまだ現地の人たちの一部分しか知らないし見ていないということ。

私は学校で体育を教える活動をしているので、関わる人たちは生徒、教員がほとんど。
配属先の同僚達は日本でいう公務員だし、近所の人たちはどんな仕事をしているのかは分からないけど、その子供達は学校や塾に通っている。


話をしたご夫婦が関わっている現地の人たちは様々な生活をしていて、金銭的に余裕のある人からその日暮らしや、一日過ごすのも大変な状況の人たちもいるらしい。
特に私たちの住んでいる街の中心部から離れた村へ行くと、金銭的に余裕のない人が多いそうだ。

また、学校に行っていない子ども達がたくさんいるということも聞いた。
ほとんどの子供達が学校に通っているとまた思い込んでいた。
カンボジアでは特に小学校は午前午後の2部制の学校が多い。午前中に登校する子ども達は午後は休み。午後に登校する子達は午前は休み。週ごとや月毎に午前午後が変わる。
なので、朝の学校のある時間に子供達が道端で遊んでいたり、親の仕事について行っているのを見ても、この子達は午後から学校へ行くのだろうと思っていた。

そんな考えをご夫婦に話すと、
いやいや、そういう子達は学校に行っていないことが多いのよ。
と、教えてもらった。

カンボジアでは公立の学校へ行くのにそんなにお金はかからないそうだ。
でも、制服、体操服(上下で5ドル)、筆記用具、鞄(自由)、のお金が必要。
さらに驚くのは学校の電気代と水道代は子供達から徴収しているところが多いようだ。1年に1回。それはあまり高額ではないよう。
そのお金に加えて、子ども達は毎日何かしらのおやつを食べているので、校内の売店でお菓子を買うお金。
こう思うと学校へ行くのにそんなにお金はかからないとは言え、少しずつでも毎日お金は出ていく。

子供を学校へ通わせることでその時に家族に入ってくるお金はない。出ていくばかり。
また、学校の授業だけでは学力がなかなか向上せず、進級するのが難しい場合もあるそうで、多くの子ども達は塾へ行っている。(学校の先生達は昼休みや放課後に塾で勉強を教えていることが多い。完全な副業。)
塾で1回の授業を受けるのに最低でも0.5ドル。複数科目を勉強するとなると、毎日数ドルのお金がなくなる。
金銭的に余裕のある家庭は子供を塾へ通わせている。=金銭的に余裕のない家庭は子供を学校へ通わせなくなる。

高校までを公立学校で卒業できても、その後大学や専門的な学校(例えば職業訓練校や看護学校など)に通うには更にお金が必要になる。
勉強するにはお金が必要なのだ。
だから学校へ通わせず子供を小さい頃から働かせる親も多い。
中学までは行くけど、高校へ進学する試験に合格せずそのまま働く子ども。小学校低学年で授業についていけなくなり、そのまま働く子ども。
子ども達が働きたい、というよりは働かざるを得ない状況になってしまっているのかもしれない。


またご夫婦の話では、こういうことは何世代も続いている。
親が学校へ行けず早くから働き、金銭的にギリギリの生活の中で子どもが生まれる。その子ども達も幼い頃から働き家計を助ける。さらにその子どもも…。
この状況ってどうやって抜け出すんだろう。
勉強をするにはお金が必要。生活するにはお金が必要。
どちらにお金をかけるかといえば、生活だろう。


現地の学校で授業をしているだけでは見えてこない現実だった。
今度はご夫婦が支えている現地の人たちの暮らしを見たり、話を聞いたりしてみたい。

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