合格。四万十へ。その前に…
合格連絡の電話
面接を終え、福岡に帰り、月曜日から日常の仕事に戻りました。
正直面接にそこまでの手応えを感じられなかったので、
「また仕事しながらのんびり探そう」
ぐらいに思っていました。
働きながらの移住活動だったので切迫感はありませんでした。
それよりも、もし受かった場合にどうしようかという、どちらかというとちょっと不安に似た感情があったのを覚えています。
四万十町の方からは合格発表は3月になると聞いていました。
そう思い油断していると、ある日、終業時刻ギリギリの時間に電話が鳴りました。
電話の相手は四万十町役場の方でした。
面接の結果合格したので協力隊として四万十町に来ませんかというものでした。
ただ、一つ言われたのは、自分が面接で希望していたミッションではないということでした。
それでも来てくれるなら是非四万十町に来てほしいという内容でした。
希望のミッションはあったものの、合格という縁をせっかくもらったので、
「是非お願いします」
と僕は返事をしました。
ただこの時の僕は嬉しいという感情ではなく、どうやって会社を辞めるか。そのことばかりを考えていました。
会社を辞めるとき
合格発表の電話をもらった時、役場の方からに一つだけ条件を出しました。
それは、
「仕事初めは5月からにしてください」
ということでした。
本来なら新年度が始まる4月から着任するのが理想だと思います。
役場的にもその方が都合いいだろうし、実際僕ともう一人以外の隊員は4月から着任しました。
それでも、2月の終わりに辞表を提出したとしても、1か月で引き継ぎ等をするのは難しく、せめてもう1か月の猶予が欲しいと思っていました。
というのも、僕にとっては
「円満に退社する」
これが、最大のミッションになっていました。
まずは、直属の上司に相談しました。
その上司からは移住することに対して応援してもらえたのでその後はスムーズに進めることができました。
3月初めに会社のみんなに辞めることを朝礼でいうことになったのですが、ちょうど同じ日に結婚の報告をする人もいてそれが少し申し訳なかったです。
4月からは僕の仕事を引き継ぐ人に引き継ぎをして、最後は盛大な送迎会をしてもらいました。
因みにこの時、「送別の品は何がいい?」
と聞かれたので、僕は
「いい長靴が欲しいです」
と答え、いい長靴をもらいました。その長靴は今でも使っています。
縁を大切に
僕が会社を辞める際に一番気を使ったのは、「円満に退社する」ということは先ほど触れました。
その理由としては、「縁を大切にしたい」と思ったからです。
会社に入って12年。
人間関係、仕事内容、大変なことや不満がないわけではなかったですが嫌ではありませんでした。
それよりも、社会人として色んなことを学ばせてもらった感謝の方があります。
そんな会社とはこの先も縁を持っていたいと考えていました。
もしかしたらこの先の協力隊、移住生活でお世話になるかもしれません。
実際、その後前の会社の人が四万十に遊びに来てくれたこともありますし、年に一度福岡に行くときには一緒に呑んだりもして、いまだに付き合いがあります。
「縁を大切にする」
これは、この先の協力隊活動でも大切にしてきたことですし、今も大切にしています。
これで、協力隊になるまでのお話は終わりです。
次回からは四万十町地域おこし協力隊になってからの話を書いていきたいと思います。
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