うついがわの新聞
新聞という縁
打井川地区の方から
「打井川地区の新聞を作ってほしい」
という希望を聞いた時、”縁”というものを感じました。
と、いうのも私の前職は「新聞社」だったからです。
ある全国紙の子会社で私はこの年の4月まで働いていたのです。
新聞社といっても私がいたのは販売だったので、記者ではありませんでしたが、社内報や販売店さんが出す地域報の記事などは書いたりしていました。
前職がこんな形で活かされることになるとは思ってもみませんでした。
どんな新聞にするのか
どんな新聞にするのか、
地域の方からは、「本物の新聞っぽいやつにしてほしい」という要望がありました。
本物の新聞っぽく見せるには、
①レイアウト
②文章
を新聞のように見せる必要があります。
そこで、レイアウトは前の勤め先の新聞のようにし、
見出し→リード→本文という風にし、本文に関しても、まず結論を書いてそこから徐々に詳しく書いていくような文章にしました。
また、「です・ます調」ではなく「である調」で書くようにしてより本物の新聞に似せて作るようにしました。
こうして、発行部数62部の小さな新聞「うついがわノ新聞」が発行されることになったのです。
大変なのは記事探し
打井川の新聞づくりで一番大変だったこと。
それは、
記事探し。
A3サイズ両面に埋めるために毎回2~3個の記事が必要です。
しかし、取材範囲は打井川地区のみ。
イベントがそんなにあるわけではなく毎回記事探しに苦労していました。
そこで、時折は写真でごまかしたり、昔話を載せたり、ネタを常に探し回っていました。
でもそのおかげで地域の土地と人を知ることができたことは嬉しい副産物でした。
当初は2か月に一度ぐらいのペースで発行しようとしていましたが、最終的には毎月発行し、任期終了直前には30号を数えることができました。
最後の方には「新聞の人」という認識も広まり、打井川地区での活動において、新聞づくりはなくてはならないものとなっていました。