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amazarashi Live Tour 2023「永遠市」東京ガーデンシアター 11/25(土)

1.前置き

 amazarashiのライブに行ってきた。去年、ロストボーイズのライブに行ったのも、同じように寒くなってきた時期だった。しかし、あの頃の自分とは置かれている境遇のなにもかもが違う。
 あの頃の自分の悩みと言えば、まだ見ぬ最悪な将来への不安というか、現在・将来の苦痛への恐怖だったように思う。しかし、今は収束した未来への虚無感にさいなまれている。恐らく、この先自分の人生には何も起こらないであろう、同じように毎日を繰り返して、気づいたら老いて、死んでいくということが分かってしまった。
 関係ない、どうでもいいことを長々と書いてしまったが、今回のアルバム「永遠市」を自分はそこまで聞き込んでいない。以前、行ってしまえば去年とかは、狂ったようにamazarashiばかり聞いていて、Liveでイントロがかかった瞬間に、「ああ、この曲か」とわかる程度には聞いていた。しかし、今回はそこまで聞いていない。
 なぜか。単純に年を取って、amazarashiのようなロックに胃もたれするようになったのもあると思う。もう少し踏み込んだことを言えば、amazarashiの歌詞に共感できなくなってきているのかもしれない。
 不安だとか恐怖よりも虚無感が勝っている現状では、amazarashiの歌詞に自分の感情や問いの答えを見出すことができない。まさしく「空っぽの空に潰される」の状況だ。虚しいときはどうすりゃいいのか。
 もしかしたら、虚しいのではなく人生に疲れて無気力になっているだけなのかもしれない。どちらにせよ、打開する策も気力もないので人生の終わり感がすごい。
 

2.感想

 セットリストは以下のとおりである。

1.俯きが丘

2.インヒューマンエンパシー

 最初、ポエトリーリーディングから始まって、バンドサウンドに勢いのある、インヒューマンエンパシーへと入っていった。エンパシーはどんな意味だったかなと調べたら、「感情移入」とかその辺の意味らしい。
 「生まれた場所は選べずとも 生きる場所は選ばせてくれ」という歌詞が、何度も出てきて印象的であった。産まれる場所を選べないのはもちろんとして、消去法で人生の選択をしてきた自分にとっては、生きる場所すら選ばなかった自分は何なんだ、といった気分になった。かといって、今後生きる場所を選択する機会はもうないだろう。途中の人の歌、ということか。

3.下を向いて歩こう

 大衆にヒットした曲である、「上を向いて歩こう」を意識したタイトル。アルバム曲では唯一MVがあるのか?無理に上を向いてなんか歩かず、下を向いて、地に足をつけて歩こう、といったような曲だと思った。いろいろな地面が切り替わっていく映像が印象的だった。
 歌詞の「終わってるんだよ 誰も彼も」はどういう意味なのだろうか。みんな人生終わってる、という意味なのかそれとも過去をこれからのイントロ部分として、それが終了しているといっているのか。
 

4.ディザスター

5.14歳

 個人的に好きな曲。APOLOZIES 雨天決行と同じ始まり方。記憶があいまいだが、雨天決行の時と違い、「灰の歌 才能不在」の部分でコーラスの下の部分を歌っていたのが良かった。
 幸せそうな人を見て苦しくなることや、普通になりたかったかつての自分といったことが歌詞に書かれていて、共感できる。また、3番?の「青春の残り火みたいな 夜露をすすって今日も生きる」や「アメリカの映画みたいなハッピーエンドは来なかった」から、もう人生の本編は終わってしまったという感じが読み取れて、これも共感できる。
 最近、人生の体感時間は年齢に反比例するという「ジャネーの法則」というものを実感している。これによると、自分の人生はもう8割方終わっていて、これからはこれまでの人生の答え合わせが待っているような時期に入っているのだが、この感覚が妙にしっくりくる。人は自分に人生この先長いなどというが、その実もう2割しか残っていない。自分のこれまでの人生は苦しみが大半であり、産まれたくなかったと思う毎日を送ってきているのだが、それが人生の結論だと考えると、諦観や虚無感と同時に妙な安心感を覚える。「14歳」を聞いて、そんなことを考えた。

6.無題

 野暮だが、この主人公はどうやって食べているのだろうと思った。アルバイトとかしているのだろうか。

7.つじつま合わせに生まれた僕ら

8.スワイプ

 MVが好きな曲。救いがなくて、だが救いがないのが現実だということを再確認させられる。「したがって 右ならえ そうすればありつけた端金 そんで支払ったのは幸せ」という歌詞が、今の自分にピッタリだ。生きるために端金を得るのではなく、端金を得るために生きている。そこには当然幸せなどない。みんな少なからず、そうした現実からは目をそらして生きているのだろうが、自分には何もないので目をそらす先がない。

9.君はまだ夏を知らない

 たった七つしか夏を知らないとはどういうことか。まだ七歳の「君」に歌っているということか。そう考えると「君」も「僕」も七歳で、七歳のころの歌というか、そんな感じがする。

10.月曜日

 自分がamazarashiで最初に知った曲は「季節は次々死んでいく」だが、本格的に聞くきっかけになったのはこの「月曜日」だ。コロナ禍で、今まで謎の義務感でやっていたことが、一気になくなった結果、自分には何も残らなかった。そうした虚無感の中聞いたのが、「月曜日」だった。中学生とか高校生のころ感じていた、「ゴミ箱にもあぶれた」疎外感を、初めて表現してくれた曲だったと思う。ただ、今は聞くと自分が大分年を取ったということを感じる。歌詞の随所に、まだ大人になっていない主人公を感じるからだろう。

11.海洋生命

12.超新星

13.自由に向かって逃げろ

 まだアルバムをよく聞いてないので、特に言えることがない。もっと聞き込んでおけば、ライブをさらに味わえたか。

14.空に歌えば

 この曲が始まると、ライブも終盤に差し掛かったなと感じる。下を向いて歩こうとは対照的に、空が映し出され切り替わっていく演出が印象に残っている。対比を意識したのかは分からないが。

15.美しき思い出

 ラストがすごかった。この曲はライブでは、「忘れたいこと」と繰り返すアレンジが入るのは、聞いたことがある人ならわかると思うが、映像作品で見るのと生で見るのとではまるで迫力が違う。声からもギターからも感情が伝わってくるようだった。あの迫力を味わえるのは、ライブならではだろう。

16.ごめんねオデッセイ

 ここで、MCが入る。前作までは名作を作ってやろうと考えていたが、今作からはそういったものから離れて作ることができて、スタートラインに立てた気がする、といったようなことを言っていた。
 また、「永遠市」はある小説に出てくる街の名前らしく、それを知った私は勝手に、その作品を知らないと作品をすべて味わえないのかな、と考えていたが、おそらくそんなことは全くなく、生活に根差した音楽が並んでいる。これを知ったことも、「永遠市」を聞きなおそうと思わせた。
 ごめんねオデッセイに関しては、ラスト2曲目に、こういった曲が来るのは意外だった。

17.アンチノミー

 「騒々しい無人」でもラストになった曲。インヒューマンエンパシーでは、amazarashiのてるてる坊主から人間の腕が伸び、画面の向こうに訴えるように、手のひらで画面を何度も叩くという演出があったのだが、アンチノミーでは、MVにでていたロボットが同じように画面を叩き、最終的に画面は壊れエラーが表示されるという演出があった。曲がそれに合わせて盛り上がっていくのもあり、迫力がすごかった。

3.おわりに

 感想がペラッペラであることからわかるように、「永遠市」をあまり聞いていないため、曲に対する感想も薄いものしか出てこない。じゃあ感想なんて書くなということになるのだが、いろいろ考えたことがあったため、それを吐き出すためにも書きたかった。
 こうして書いているのも束の間、また日常に戻っていかなければならない。そうなれば、いちいちどう思ったとかどう感じたなど考える暇もなく、老いていく。もう人生も終盤だ。今年ももう終わりか。



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