アンコール 5 「可愛くない」
その楽器はどうしたの、と、思わず口にしていた。
詳しくはないけれど、高価なものなのではないだろうか、と思えた。
ラーメン屋とベビーシッターのバイト代だけでは、1ヶ月の生活費ギリギリだろう。
貯金をするタイプにも思えなかった、そんな彼女に、馬頭琴を購入することなど出来るのだろうか、と、失礼極まりないが、素直に疑問に感じたのだ。
広くはない店内で、10人座れるか座れないかの、コの字形のカウンター席に並んで座っているのは僕たち二人だけだった。
普段は、他人のプライベートなことに自分から深く突っ込んだりはしないし、余計なことを訊ねることもないのに、この日はどうしたのだろう。
自分では気がついていなかったと言うだけで、かなり酔っていたのだろうか。
店主はカウンターの脇にある、彼女が演奏し、歌っていた、椅子が一つだけ用意された二畳ほどの空間でギターを弾いていた。
他の客はパラパラと帰って行き、本当に朝まで彼女に付き合おうと決めて、この場に残ったのは自分一人だけだった。
彼女の演奏と歌声を聴いていたのは、多分僕だけだったのだと思う。
他の客にとっては、飲み屋のBGMでしかなくて、そして彼女は人目を惹くような美貌やスタイルを有してはいなかった。
僕を抜かして、最後の客が帰る際に「マスター、もっと可愛いコを雇えば~!」などと、ふざけた調子でヘラヘラと絡んだものだから、思わず「彼女の演奏も歌声も、素晴らしかったではありませんか」と身を乗り出して口を挟んでしまった。
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