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【58歳、転職がんばる!!】 #14 解き放て 命で笑え

1995年1月17日。
30年前のあの日、人生が変わった。

午前5時46分。胸ぐらを掴まれ、激しく揺さぶられているような衝撃に叩き起こされると、元妻が0歳の子供を抱えて、倒れたタンスとテレビの下から助けを求めていた(揺れる直前に目が覚め、隣で寝ていた息子を抱きしめたそう。そこにテレビが倒れてきて、その上にタンスが倒れてきた。もしも揺れた後に目が覚めていたら、息子は…。母はすごい!)。何が起こったのか理解できないまま、条件反射で救い出す。部屋の状況を見て、地震であることを悟った。二人をベッドの上に避難させ、状況を把握するため外に出ようとしたが、キッチンは食器棚が倒れ、割れた食器が散乱している。その上を歩かないと玄関に辿り着けない。裸足のまま躊躇なく、その上を走った。当然、足を切ったが、それに気付いたのは数時間後だ。その時はそんなことに気が回っていなかった。そして、玄関の扉に手をかけるが、扉が歪んでしまっていて開かない。仕方なく、窓から外に出た。

たまたま外に置いてあったスニーカーを履き、上の階に住むおかん、下の階に住む爺婆の安否確認を済ませて家の外に出ると、向かいの家の1階部分が崩れ、2階が1階を押しつぶしていた。隣の家は家ではなく、ただの瓦礫だ。しかも、息子さん夫婦が「お母さん〜」と泣き叫びながら瓦礫を素手で掘り起こしている…。周りを見渡すとマンションが倒れ、いくつもの家が倒壊し、所々で煙が上がっている。信じがたい悲惨な景色が広がっていた。唖然としていると、「助けてくれ! 娘が柱の下敷きになっとるんや」と知り合いのおっさんが駆け寄ってきた。近くにいた数人で柱を持ち上げるなどして、娘さんを無事に救出できたが、おっさんの家も瓦礫になっていた。

これは地震後30分くらいの出来事だ。続きは書き出すとキリがない。すべてのことを鮮明に覚えている。嫌な思い出として一番残っているのは、その日のうちに近くの小学校に避難した時のこと。焼き芋を売りに来た人がいて、その値段が一本5000円。あれには、怒りや憤りよりも人間のあさましさを感じた。その人、みんなの非難を浴びまくり、逃げるように退散していったけど。

結局、自分の家も全壊だった。30年が経ち、神戸の街は復興したが、人生は狂わされたままだ。リアルすぎることやディープすぎることは思い出したくないから書かないが、地震が起こっていなければ、そうはなっていなかったことばかり。家を建て直したことで多額の借金を抱えたことも、経済的に苦しい生活を送っていた日々も、それを返済できなくなって自己破産したことも、それが原因で離婚したことも…。全てを地震のせいにしてはいけないのだろうが、やはり「あの地震がなければ」と思ってしまう。

生き残ったから幸せ?
それは当事者じゃないから言える言葉だ。


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