はじめまして
自然療法セラピスト、りえです。
今は子どもたち向けの「学習塾と野球教室」を運営している、42歳です。
元々、理学療法士(リハビリの専門職)として、病院や介護施設などで働いていました。
が、あることをキッカケに退職して、起業。それから約10年間、個人事業をしてきました。
思えば、退職するキッカケになった出来事が、わたしの人生を大きく変えることになりました。(それはまた後ほど詳しく書きます)
決して、順調とは言えなかったけど、今まで経験してきたことに、無駄なことは何一つなかったと思っています。
わたしの経験が、今悩んでいる方の何かの役に立てれば嬉しいです。
自然豊かな町でのびのび育った学生時代
わたしは、海がとてもキレイな場所で生まれ育ちました↑
都会から遠く離れた、海と山合いにある小さな田舎町。小さい頃、いつも遊んでいたのは、海岸か山の中にある秘密基地でした。笑
生まれ育った場所が自然豊かな町だったので。
今でも自然の中で過ごすと、家に帰ってきたようにホッとします。
何か悩んだり考え事をしたい時は、必ず、自然を感じられる場所に行きます。
海を眺めたり、大好きな桜島を眺めたり、公園の木々の中で深呼吸したり、暖かい陽射しを感じたり…。そういう、自然を感じる時間が何よりも心地よく、大切な時間だと感じます。
のびのびと自然の中で過ごしていた、高校2年生の頃。
ちょうど進路について考えていた時に、たまたま読んでいた職業紹介の本で「理学療法士」という職業があることを知りました。
病気や怪我などで入院している人の運動を行い、サポートをする仕事。
当時のわたしは、「何か人の役に立つ仕事がしたい」と思っていたので。
理学療法士の仕事を知った時、「これだ!」と思ったのをよく覚えています。
わたしが関わることで、その先の人生がより良いものになってくれたら、こんなに嬉しいことはない。
そう思い、理学療法士になることを決意しました。
それから高校を卒業し、専門学校に入学。
初めての一人暮らしで、最初は何もかも環境に慣れなくて、勉強にもついていけず、入学してわずか3ヶ月で留年が決定。
家族からも「もうあきらめなさい」と言われたものの、どうしてもあきらめきれず、説得して学校を続けさせてもらいました。
その後、猛勉強して、どうにか卒業し、理学療法士の国家資格に合格。
晴れて、地元の病院に就職することになりました。
地元の病院に勤めてから、3年半が経った25歳の時。
「もっと勉強したい!」と思い、転職することに。
実家でのんびりと過ごしていたものの、何か物足りなさを感じていたわたしは、思い立って環境を変えることにしました。
2つ目に就職した所は、高齢者の介護施設。
施設に入所している人や、家から通ってくる人達へ、リハビリを行う場所。
そこでの業務は、リハビリの専門職としてだけでなく、成り行きでリーダー的な役割もすることになりました。
通常の仕事に加えて、管理職がするような業務もしていたので、毎日21時頃まで残業が当たり前。しかも、たった一人で。
今思うと、相当なストレスを感じたまま、気づかないフリをして我慢していたんだと思います。
そんな状態のまま、働き始めて約3年経った頃。
退職するキッカケになった、人生の転機が訪れます。
人生の転機
忘れもしない、2012年9月5日の朝。
いつものように起きてベッドから立ち上がろうとした時、左足の踵に今まで感じたことのない、激しい痛みを感じました。
転んだわけでもなく、突然やってきた、立ち上がれない程の痛み。
わけも分からず、しばらくうずくまり、痛みが治まるのを待ちました。
その時は一時的だったので、仕事には行きました。
が、痛みはどんどん広がり、手足のあらゆる関節に激しい痛みを感じるようになりました。何件も整形外科を回り、あらゆる検査をしたものの、原因は分からないまま…。
「痛みの原因の9割は分からない」と、医者にも言われる始末。
それでも、痛みは容赦なく、襲ってきます。
最初は痛みがあったりなかったりを繰り返し、ない時は普通に過ごせたものの、忘れた頃にまた、痛みを繰り返す。
痛みが出る度に病院へ行き、ステロイド(抗炎症薬)で抑える。
その繰り返し。年に2〜3回、多い時は4〜5回程、そんな症状を繰り返していました。
理学療法士は、手を使って、治療をする仕事。
当時、特にひどかったのが、左手首と足首の関節痛。
激しい痛みと腫れ、熱感があり、まともに仕事が出来るような状態ではありませんでした。
それでもその時は、「わたしがいなければ!」と勝手に思い込んでいたので、無理をしてでも、足を引きずってでも、仕事へ行っていました。
足にサポーターを着けて固定し、必死に痛みをこらえながら、痛み止めの薬を飲み、その副作用でめまいや吐き気を感じながらも、何とかこらえて仕事を続けていました。
それから段々、症状はひどくなっていきます。
全身のあらゆる関節に激しい痛みを感じるようになり、寝返りすることも、起き上がることも、ままならなくなりました。
何のために、生きているんだろう?
何でわたしばっかり、こんな目に合わないといけないんだろう?
体は動けないけど意識はしっかりしていたので、そんなことばかり考えていました。
寝ていることしか出来なかったので、何も出来ない自分が情けなくて。
社会から孤立したような孤独感を、いつも感じていました。
激しい全身の痛みに耐えながら、家の中ですら、歩くのがやっとの状態。
寝返りするのも、起きてご飯を食べるのも、トイレに行くのも、歯磨きするのも、着替えるのも、何をするにも激しい痛みを伴うので、普通の生活を送ることすら、ままならず…。
とうとう限界を感じたわたしは、理学療法士の仕事から一旦離れることにしました。
生きるために「起業」を選択
退職してからのわたしは、「どうにかして生きていかねば!」と必死でした。それまで正社員の経験しかなかったので、ビジネスのことは全く分からず、何をしていいのか分からない状態。
とにかく生きていくために、ビジネスについてあらゆることを学び、実践しながら、何とか生活をしてました。
やりたいことは、とにかくやってみる。
HPやブログ、SNS、YouTube、イベント企画やマーケティングのことなど、ビジネスのことを学びながら、整体業や、ヨガインストラクター、セミナー講師、講座販売など、「やりたい!」と思ったことは全て挑戦。
異業種交流会に参加しては名刺を配りまくり、時には手足の痛みを感じて動くのが辛いときも、何とかして「生きていかねば!」と必死に行動し続けていました。
二度目の人生の転機
そんな状態で行動し続けていても、何の成果も感じられず、「何のためにやっているのか?」分からなくなっていたとき。
ある講師に出会いました。
ヨガスタジオを経営しながら、セミナー講師をしていた、わたしにとって初めてのビジネスメンター。
そのメンターからは、人間心理学だけでなく、ビジネスのこと、人生のことなど、《生きていくのに本当に大切なこと》を学びました。
半年間の講座で学ぶうちに、心の奥底にある「本当の自分」を知り、今までの出来事を心から認められるように。
そのおかげで、ビジネスや人間関係、お金、パートナーシップなど、理想の状態で過ごせるようになり、人生が大きく変わりました。
実は、この記事を書いている現在も、《潜在意識とお金》について学んでいる途中です。
何か不安を感じる度に、自分が気付いていなかった「無意識の思い込み」に気付き、それを一つ一つ手放してきたおかげで、今では本当に心から穏やかな日々を過ごせるようになりました。
あれだけ感じていた体の症状も、今ではほとんど感じなくなりました。
実は、最初に発症してから診断名がつくまでに、12年かかっています。
全身の関節痛から、もっとひどくなり、足には結節性紅斑(けっせつせいこうはん:赤く腫れ上がる謎の発疹)、口の中に何ヶ所も出来る口内炎、など体のあちこちが炎症を起こしているのに、それが何故なのか原因が分からない状態。
それを、年に3〜4回は発症しては治り、また発症する、を繰り返していました。
色々調べた結果、初めて診断がついたのが、「ベーチェット病」。
難病指定されていて、治療法も分からない原因不明の病気です。
これまでは、年に2〜3回は必ず症状が出ていました。
何かしら強いストレスがあったり、考え事や悩み事があるとき、仕事が重なって疲れているときなど、症状が出るようになり、その度に薬で抑える、の繰り返しでした。
でも今では、ほとんど症状を感じることはなくなり、薬を使うこともありません。
なぜ、症状がなくなったのか?
いろんな健康法を学んだこともあるけど、
・ストレスを感じることなく、心が安定し穏やかになったこと
・「自然とともにある暮らし」をするようになったこと
のおかげだと思っています。
発症してから13年の間、「健康でなければ何も出来ない」ことを、身をもって何度も体験してきました。
・美味しいご飯を食べられること
・行きたい場所に行くこと
・やりたい仕事をすること
・好きな時に、好きなことをすること
など、当たり前に出来ていることも、実は当たり前ではありません。
こうしてnoteに書くことで、改めて自分のこれまでのことを整理できるような気がして、書いていてなんだかとても落ち着きます。
わたしがこれまで経験してきたことを、少しずつ書いていきます。
健康のこと、野球のこと、人生のこと、自然のこと、などなど。
これまでわたしが学んで、実践し、役に立ったことを書き綴っていきます。
いま悩んでいる人にとって、何かの役に立てれば嬉しいです。