空
9月は天気予報を確認しては、最高気温が30度を超えない日を待ちわびていた。最近ようやく秋らしい風が吹くようになり、エアコンを使わなくても快適に過ごせるようになってきた。夏はあまり好きじゃない。暑すぎてね。
おとといまでの3日間、輪島市の仮設住宅に行ってきた。
到着までの車は、道路状況がかなり悪く、大きく揺れたり、道路のすぐそばが土砂崩れを起こしているなんてことも普通だった。窓の外にはいくつもの場所で山が崩れているところが見え、川はまだ濁っていた。
日本に帰ってきたら、何らかの形で能登へ行こうと決めていた。とりあえず、と思い大学からの案内があった有償ボランティアに参加を決めた。震災後、そして豪雨災害直後の輪島市へ向かった。
募集があった活動の内容は、仮設住宅でのニーズの聞き取りを行いながら、安否調査を行うというものだった。しかし、豪雨災害があり、予定されていた活動地の仮設住宅も大きな被害を受けていた。そのため急遽、仮設住宅の片付け、ゴミ出しを手伝う活動へと変更になった。
体力に自信はないし、力が強いわけでもない、、と思い、片付けのボランティアには申し込めずにいたが、結果としてちゃんと身体を動かすボランティアへの参加となった。
仮設住宅をはじめてみた。同じような家がたくさん並んでいた。今回は床上浸水をした仮設での活動だった。本当にここまで水が?と思うような泥の跡があり、でも被害の状況を見れば何が起こったのかはすぐにわかった。
「来てくれてありがとうございます。とにかく全部(ゴミ捨て場に)持って行ってください。」
何度も聞いた言葉だった。真新しい家具家電。写真。使い込んだ家具。色んなものを運んだ。
「地震で被害にあい、家は全壊、もしくは住めない状態。避難所からやっと仮設住宅への入居が決まり、二か月くらいたった後、これ。もう散々だ。」
そんな話も何度も聞いた。
今回は”有償”だったので、お金をもらっている罪悪感もとてもあった。同じ労働をしているのに、完全にボランティアで遠くから来ている人もいた。こんなに後ろめたくなるなら次からはボランティアとして来よう、とも思ったけれど、自分の生活・就活・学校もありながら、何度も来れるかな。何かしたい、という気持ちはあるけれど、そこまでの気持ちを持ち続けられるのかな。とも思った。こんなに大変な状況の人がいるのに、自分の心、気持ち、他の人に比べて綺麗じゃないな。と思ってしまった。
わたしが訪れた1つの仮設住宅だけでも、何人でやっても、頑張って作業しても終わらないほどの助けが求められていた。
夜は近くの仮設の入浴施設を使わせてもらった。NPO法人の方が運営しているようだった。運動会で使うテントの中に7人分の脱衣所、シャワー、そして簡易浴槽も置いてあった。早めに行かないとお湯が出なくなっちゃうよと聞いていた。お風呂には高校帰りと思われる高校生や、仕事が終わり、子供とお風呂に入りに来ている人、介助をしながら入浴をしている人もいた。
当たり前だけれど、どんなところにも、どんなときにも日常は流れていて、以前の生活に少しずつ戻るためにみんなが闘っているように見えた。
帰り道に元日のニュースでたくさんみた輪島の朝市まで散歩に行った。google map で近づくにつれ、道は静かに、暗くなっていった。わき道から入ろうとすると、ここも立ち入り禁止か。周り道しないと。と商店街のメインの通りから入ることにした。前はとても素敵な観光地だったんだろうな。と分かるような道だった。
つきあたりにまた立ち入り禁止の看板があった。何もなくなってしまった場所が輪島朝市があった場所だった。暗くて目の前に家の基礎部分が見えるまで分からなかった。
帰り道、星が良く見えた。大きな空が広がっていた。
今年の元旦、スウェーデンから石川県のニュースを眺めて、何もできない自分に悲しくなった。ニュース映像をYouTubeで見ては、自分が悲しくなったってしょうがない、もっと辛い、心配している人がいると思いながらも泣いた。自分がお世話になっている地で大きな災害が起きているのに何もできないことがつらかった。
現地に来ても、悲しくなった。ここにわたしがいても、出来ることはほんの少し。変えれそうもない現実と脅威が広がっていた。ああ、どこにていても、ここに来なくても同じだったのかなとも思った。
自分の無力さ、自然の脅威、日常の大切さ、輪島に住み続ける人、活動し続ける人の想いの強さを感じた3日間だった。
どんな形でも、また来ます。