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櫻坂5thは「セゾン系」なんじゃないの?と思えるいくつかの理由について(前編)

今回はこれまでのアートワークと、今回のアートワークの分析から考えると、新しい5thの曲はこうなるのでは、というおはなしです。
タイトルの話題はちょっと最後の方になると思うので、バンバン飛ばして読んでくださって構いません。とおもったら最後までかけませんでしたので前後編に分けて書きたいと思います。

櫻坂のアー写に代表されるシングルのアートワークは、ほかのアイドルにはない独特の「世界観」があるとして高い評価を得ています。それはperimetronのOSRINさん によるアーティスティックな表現手法の賜物でして、まずはその表現がどのようなコンセプトのもと出来上がっているかを分析してみましょう。

2人の作家をハイブリッドでオマージュ

基本的に1stのnobody’s faultから3rdの流れ弾までは、ほぼ同じコンセプトで制作が進められていると考えられます。絵作りにおいて、美術史で言うところの19世紀に起こった「新古典主義」に流れを汲む画家が追ったテーマを主題にしつつ、その表現の随所に20世紀の「シュルレアリスム」の表現を組み入れるという手法を採用した、ということ。要は異なる時代の2人の芸術家のハイブリッドです。

もう既にいろんなところで擦られまくっていますが、1stで主題となっているのは、生涯にわたって数多くのバレリーナ、つまり踊り子の姿を描き出して「彼女たちの一瞬を永遠にした」として高く評価されているエドガー・ドガ(1834年7月19日 - 1917年9月27日)。この人、絵はとてもうまかったのですが人格は最悪で、その歴史的な評価は「パリオペラ座のバレリーナ見習いたちの練習を(一応正当な形で)覗きまくってそれを絵にしたロリコンど変態偏屈おじ」(実際に大学でこう習った)というもの。まあ今で言う我々バディーズのことです。

「踊り子」をアイコン的に表現

ドガの影響は下の通り一目瞭然で、木のフローリング、汚れた漆喰の壁に塗装された鉄のフレームの昔ながらのガラス窓、そこに一歩引いた構図から踊りに集中している少女を描く、という点で極めて似ています。光の指す方向にも共通点がありそうです。華やかなステージの陰で、オペラ座の屋根裏部屋で練習に勤しむ若き踊り子たちは、櫻坂としてデビューする前の彼女たちの姿に重なるものがありますし、同時に彼女たちがダンスを武器にするグループであるということも伝えています。

ポーズや構図、光の感じなどに共通点が

ただ、両者で少し違うなと思うのは、櫻坂のジャケット方が人物に生気が宿っていない描写となっている点。とても無機質に感じます。
そんなことを考えながらアー写やtype-Bのジャケットを見た時に、見出せたもう1つの特徴が、ルネ・マグリット(1898年11月21日 -1967年8月15日)の存在でした。

マグリットの絵(右)の要素を借用している

左上のアー写は、部屋の中に雲が浮かび、また下を見ると室内なのに草が生えるというあり得ない状況。マグリットも雲を好んで描き、さらにこうした異質な描写はまさにマグリットが得意としたところです。マグリットはいわゆるシュールレアリスムのはしりと言われる作家で、あるべき場所にあるべきものを置かず、逆に全く異質のものをキャンバスの中に配置することで「詩」が生まれるんじゃないか、そう考えた人。強烈で一眼見たら忘れられないイメージは、現在の広告グラフィックに大きな影響を与えたと言われています。これまでのアイドルの常識を外れたところに詩が生まれる。そんな思いを、マグリットの雲のモチーフを借用することでこのジャケットに投影したのです。

欅の死、そして再生

そしてマグリットがもう1つ好んだモチーフがあります。それが布を被った人物。これはマグリットが幼少の頃に彼の母親が入水自殺をしたのですが、その時死体に布が被せられていましたことが起因していると言われています。おそらくこれは強烈なトラウマとして脳裏に焼き付いたのでしょう。彼はその後、その強烈なイメージをさまざまな作品に使っています。櫻坂1stのジャケットにあえてこの布を被ったメンバーの写真を使ったのは、「欅坂の死」を暗示しようとしたから。ジャケットの裏面には、この布を取り払おうとするメンバーの姿が映し出されており、それは死から再生へと踏み出した彼女たちの決意を伝えています。

このようにして、アーティストのイメージを複合的に借用しながら新たな櫻坂というグループの存在を伝えようという試みは、3rdの「流れ弾」まで続きます。

同様の路線の3部作

2ndの「BAN」では「バルビゾン派」と呼ばれる写実主義の作家であるフランソワ・ミレー(1814年10月4日 - 1875年1月20日)の世界観がベースになっています。この人は「落ち穂拾い」で有名な方ですね。バルビゾン派は、当時のパリなどでコレラが流行り、また社会情勢の不安から田園地帯であるバルビゾンに移り住んで、その自然の美しさを描いた人たちです。ちょうどコロナ禍で活動が制限されている現状を、その当時の世相に重ね合わせてジャケットの制作を行なっています。

そして、1stと同様にこのジャケットに服地的な意味を持たせるためにオマージュしたのが、ジョルジョ・デ・キリコ(1888年7月10日 - 1978年11月20日)の絵画です。形而上絵画というジャンルで、シュールレアリスムの地平を切り開いたと言われるデ・キリコの影響は、彼女たちの着ているギリシャ調の服や、全体的なカラーのトーン、そして背景に使われている幾何学的な構造物などに見て取ることができます。

下はデ・キリコの絵画

そして3rdはご存知ドラクワロワ。ジャケット関連のアートワークを手がけるPERIMETRONのOSRINさんが「彼女たちが革命そのものである」として選んだモチーフの1つは「民衆を導く自由の女神」であり、そしてもう1つのモチーフとして選んだのは、シュルレアリスムを牽引して現代アートの革命児と呼ばれたサルバドール・ダリです。既成概念を覆す、から革命へとその表現は発展。確かに
流れ弾はアイドルとは思えない格好良さに過激のようなストーリー、コンテンポラリーのダンスと、これまでのアイドル像にはない革命的な作品でした。個人的にはこのアートワークは最も好きで、櫻ちゃんたちには赤が似合うなと心から思いますし、MVもとんでもないクオリティーで格好良く最高でしたね。歌詞が超絶ダサかったのと、パフォーマンスそのものがテレビと相性が悪すぎたのが残念でしたが。

「全員アカレンジャー」の4th

ここで、新古典主義以降の作家とシュルレアリスムの表現を組み合わせて新たな世界観を構築する3部作は一旦終焉を迎えます。そしてそこに連なる4thは、ある意味これまでの集大成を一度ここで見ていこうという意図があったのかもしれません。メンバーを1人1人に1つの芸術作品をあてがい、それぞれを歴史の、物語の主人公に見立てて一人一人を主役にする、という、まあつまり「全員アカレンジャー化」という大変面倒臭いことをやってのけたのです。

一見ただちょっとポーズをつけて並んでいるだけだが…

どういうことか。これまでの3部作と違い、このアー写にはそれぞれのメンバーがかなり異なるポーズをとっています。このアー写の秘密を読み解く鍵はここにありまして、つまりこういうことです。一気にいきましょう。

全員拾いきれなかったのが残念ですが、まあこういう感じでものすごい計算の元作られてるんですよ。このアー写。この頃になると、メンバーの個性をより強く出すようになってきて、それぞれの物語のそれぞれの主人公になってほしい、というOSRINさんの意図があり、これがアルバムの笑顔につながったのかな、と思ったりするわけです。
で、こうした意図と計算と過去のアートからのオマージュを駆使して作られた4thまでのアルバムのアートワーク、よく言われる「櫻坂は世界観がすごい」というのはここに端を発していると思われますが、じゃあ5thはどうなの?というところがここからの本題…だったのですが、だいぶ長くなりすぎたので一旦ここで切りたいと思います。5thの分析はまた後ほど!

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