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誰のせいでもない私の憔悴(経験した踏み外し)

精神疾患はもうとっくに落ち着いていて、私は病いによる苦悩からは解放されている。安定剤だけは服用し、月に一回のカウンセリングも受けている。精神疾患の受容を済ませているのは当たり前で、それを確定したまま推移し、今では何一つ気になることもない。「寛解しています」とDr.から繰り返し30回以上告げられてから、私は単身イタリアへ渡りヨーロッパで働いた。もちろん精神障害者としての立ち位置で。


精神障害者ピアサポーターであるからには、精神障害者としての経験が必須で、もしもう既に精神障害者ではないならば、これで商売が成り立たなくなってしまう。


日本大学病院での精密検査で、神経内科の鈴木教授から「あなたは精神障害者ではない。そんなことあり得ない。コミュ障の気配もなく、話し方も的確、滑舌も良いし、症状もない。あなたは、健常者です」と断定された。


すると私の商売が俄然成立しなくなる危険性があった。大学病院での診療情報提供書を取り寄せて、心療内科クリニックへ手渡した。さしあたり投薬を差し止めてもらい「オープンダイアローグの、対話のみの治療にしていただけないでしょうか?」とクリニックへ依頼した。7年前のことだった。(※オープンダイアローグというのは1992年にフィンランドで開発された精神疾患の治療法。従来の治療法に比べ、投薬量が格段に減り、治療に要する日数も激減することに成功しています)


私が果たして精神障害者なのかどうなのか、このことについて、今では重要な意味を持たなくなっている。NPOを私は辞めて、精神障害者ピアサポーターとしての雇用契約を解約したので。


それでは、なぜ私は精神疾患に陥ったのか…


その本質を見出そうとするのは際限のない虚しさで、これといった意味もないと思う。ある意味で、探るのは、茶番だともいえる。私はキリのないそんな非効率をなるべくなら敬遠したいと思う。


学生時代、文学に親しんでいたら、いつの間にかごく自然な形で、私は病んでしまっていた。いってみれば《文学病》で、生田耕作の作品に『読書狂』があるが、私はそんな読書狂だった。そして総じて私の場合は憔悴の挙げ句の《踏み外し》だった。


読書と執筆、加えて文芸理論の習得に励む日々、器用にそれらを私はやっていた。昼夜を問わず、かなりの徹底だったのは、プロになることを希望していたから。友達からは「神経質だ」との感想も相次いでいた。つまりプロ希望であり且つ神経質だったから、頑張りすぎていたのかもしれない。


これじゃ憔悴するのも無理はなかった。


文学病…


既に私は書籍代として2千万円を計上していた。数々の文学全集やら絵画類、夥しい写真集等々。振り返っていま考えれば、どうかしていた。私の文学病は徹底していた。


それでも責任を自分で引き取るしかなかった。まさか作家の責任とすることはできない。私の病い、文学病の責任なら私が取るしかないと思った。



いま現在、私は普通の人として、東京の下町で暮らしている。「凡庸化を推し進めて遂に完了したんだね」と皮肉っぽいことを言う人もたぶんいる。あまり気にはならないけれど。



踏み外し、とはいっても厳密にそうなのかどうかは、藪の中。《踏み外し》という活字をあまりにも多く見かけて読んだからなのかもしれない。知らずのうちに私は踏み外しに投影してしまったのかもしれない。


さて、これからの私は、ピアサポーターとしての活動をするとともに、何かしらの文章も書いていけたらいいと思う。

とりあえず、一人の女友達が精神疾患で苦しんでいるから、彼女の苦悩の緩和に努めたい。友達として、ピアサポーターとして、錯乱気味の彼女に何かをしてあげたく思っている。


他に、ピアサポーターとしての諸活動、国会にロビイストを送り込むとか、理解ある政党に「生活困窮者の負の連鎖」を食い止めてもらうよう働きかけるとか、すべきことはたくさんある。参議院へのロビイストは主に野党の国会議員となる。精神保健福祉法第22条、第23条の、削除抹消など。


詩は、私には書けないと思う。小説もおそらく同様。


京極夏彦さんの小説に「脳髄に、余計な脂肪が、付着している」とある。

不安になるようなセンテンスだった。










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