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ヒナドレミのコーヒーブレイク      水車と旅人

 森を抜けると、そこには 場違いなほど長閑な田園風景が広がっていた。聞こえるのは小鳥の囀りや、そよ風に揺れる木々の葉の音、そして近くを流れる清流の音など 自然の音のみ。視覚的には、森の濃い緑色から草原の淡い色調へと変わった。聴覚的にも視覚的にも私の心は癒されていた。人工物と違って、自然のものには 柔らかみや温かみが感じられる。

 と 突然、稲妻が走り 雷鳴が轟き、ザーッと雨が降り出した。今までの青空からは想像もつかない。辺りを見渡した私は、南側に青い屋根の家を見つけて そちらに向かって走り出した。

 ログハウスのようなその家の前に辿り着いた私は、重厚そうなドアを叩きながら「すみません、雨宿りさせてください!」と叫んだ。

 すると 中から あごヒゲを生やした年齢不詳の男性が出て来た。美しい女性が出てくることを期待していた私は 少なからず期待を裏切られたが、そんなことを言ってはいられない。私はその男に 軒下で束の間の雨宿りをさせて欲しいと頼んだ。(断られるかな)と思ったが、意外にも 男は私を家の中へと招き入れてくれた。

 軒下でも良かったのだが、男の言葉に甘えて 私は中へと入っていった。そこには、広くはないが片付いていて居心地の良さそうな空間が広がっていた。

 あごヒゲの男は 私に尋ねてきた「あなたは旅人か?」と。私は返答に困った。そうでもあり、そうでなくもあるからだ。私が返答を渋っていると 男はこう言った。「この家の裏に、水車小屋があるんだが、旅人が来るたびにそれが止まるのだ」と。どうやらここの水車は、よそ者が来ると分かるようだ とも言った。

 そして最後に 真面目な顔をして 一言 付け加えた。「まぁ明日になれば わかることだ」と。

 2時間後、雷鳴の轟きは 衰えるどころか、ますます酷くなってきた。そこまで遅い時間でもないのに、窓の外は真っ暗闇と化している。暗闇に走る稲妻が、恐ろしいほどの光を放っていた。どうすることも出来ず 私は途方に暮れていた。すると「何もないところだが、泊まっていけばいい」男が言う。見ず知らずの男に、そこまで世話になるのも気が引けたが、この雷雨の中、出ていく勇気もなかった。

 翌朝、私は男が起きないうちに テーブルの上に一万円札1枚と簡単なお礼を記した手帳の切れ端を置いて、その家を出た。天気は回復していて、清々しい朝だった。私は 気になっていた水車を見るため、その家の裏側へと回った。果たして 水車は、勢いよく水を跳ね飛ばして 動いていた。私は何となくホッとした。 
                                  完

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