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ヒナドレミのコーヒーブレイク      父のヒゲ

 パソコンの前に腰を下ろしてから、はや2時間が経過した。Wordの画面は、真っ白、文字は何も入力されていない。

 作家になって3年経つが、こんなことは一度もなかった。俗にいうスランプに陥ったということなのだろうか?先ほどから カチャカチャと文字を打っては消し、消してはまた打つ の繰り返しで、せっかく打たれた文字たちも、いくらも経たないうちに 消されていく。そして結局は白紙に戻る。

 締め切りは10日後だというのに、まだ構想さえ浮かんでいない。こんなことでは、到底 間に合いそうもない。

 今まで、苦戦を強いられたことは何度かあるが、それでも締め切りには間に合っていた。それなのに、今回は どうしたことか 何も浮かんで来ない。(あぁ、どうしよう?)焦ることで、頭の中がパニック状態に陥り、何も考えられなくなる。そういった悪循環と戦いながら、私は考える。

 こんな時は、気分転換に外出でもしようか?とも思ったが、こんな気持ちで外出しても、面白くないだろう と思い、外出は諦めた。

 そして私は、半分 ヤケクソになり 手当たり次第に キーボードのキーを打ち込んだ。すると画面に『ひげ』の文字が現れた。髭と言えば・・・私の父は 若い頃 髭を生やしていて、髭面で よく私に頬ずりをしてきたものだった。それが擽(くすぐ)ったくもあり痛くもあり、不思議な感触だったのを思い出した。

 現在 私は両親の元を離れ 一人暮らしをしていて、自分で自分に誓ったあることを実現させるまで 両親には会わないと決めていた。それは、『作家になって 両親への仕送りが出来るまでになる』ことだった。作家になるのは簡単だが、世の中に作家は腐るほどいて、その中で真の作家として成功するのは、ほんの一握りの人間だけだ。私がその一握りの人間の中に入ることは 逆立ちしても出来ないだろう。成功しないまでも、とりあえずは 一人前の作家になりたかった。

 そして私は、『かなり波瀾万丈な人生を送ってきた父』をモデルにして 作品を書いた。編集者からは、「この作品、とてもリアルですね、誰か モデルがいるのですか?」と言われた。私は正直に父だと答えた。

 その本が出版されると 今までになく 売れ行きが伸びて行った。そして驚いたことに 私だけでなく 父も脚光を浴びることとなり、親子で取材を受けるまでになった。私は わけが分からず、気がついたら 世間に名前が知れ渡っていた。  
                                 完

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